■“沖縄なら、住民は反対するだろうが彼らは何もできない”

そして、沖縄はアジア最大の核兵器基地になっていく。
核ミサイル・メースBの前身「マタドール」は、当初、福岡の芦屋基地への配備が検討された。だが、日本本土の強い核アレルギーから、岸政権の政治的自殺になる、と考えた。
“統治下にある沖縄なら、住民は反対するだろうが彼らは何もできない”(米空軍 第313航空師団 歴史報告書)
琉球大学 我部政明 名誉教授
「沖縄にもっていけば政治的な問題を解決できる。力でもって押しつぶすことができるということがあって、沖縄には自由に核を装備した部隊が1950年代後半から60年代の半ばくらいまでかなりの多くの部隊が駐留することになる」
配備は急速に進められ、ナイキ、メースB、ホーク、3種類のミサイル基地あわせて20か所が完成した。配備された核兵器は最大1300発。中でも、すべてのミサイル基地があったのが読谷村だ。
読谷村は、沖縄で最も早く核基地となった場所である。ミサイルの標的は共産圏だった。


アメリカ軍で働いていた儀保盛市さんにとって、核はいつもそばにあった。

「嘉手納の弾薬庫にも行っていた。核が入ってるのは印が入れられているが、印を自分たちには教えてくれない。こっちは普通の弾じゃないよ、特別ですよって言われてるが」
その弾薬庫は、嘉手納基地の北側に位置する一帯(嘉手納弾薬庫地区)にある。読谷村にも隣接する場所だ。点在する貯蔵庫に様々なミサイルや爆弾が保管されている。

儀保さん
「ありますか、ないですかって聞いたら、あるとも言えない、ないとも言えないと。どこがそう教えてるかって聞いたら、ジャパニーズガバメントって言ったんですよ。あんたたちのジャパンの偉い人はあまり偉くない。ジュニアハイスクールと言っていた。ジュニアハイスクールの人が大臣だから何もできないと笑ってた」

“沖縄にもっとひっそり持ち込めないか”