LGBTQ「自分たちで決められない、生まれた時からのこと」

小川キャスター:
本当に多くの方が力づけられている、勇気づけられていると思うんですけれども。まさに今、與さんがおっしゃった、その最初の一人というのが、どれだけ難しいかということですよね。まず、最初に打ち明けるっていうことが。

與さん:
本当にそうなんですよ。いや、本当にそこがめちゃくちゃ難しくて。なので、僕はロサンゼルスという海外に住まないと、このまま日本にいたら自分の精神が崩れるんじゃないかなって。でも、そんな社会に負けたくないと思ってたんですよ。やっぱり、負けず嫌いなところがすごくあって。もしも、自分がゲイとして生まれたくて、決められて生まれてきたら、いいんですけれど。自分たちで決められないことなので、そこがやっぱりすごく苦しみました。

でも、ストレートの方たちで何人か、まだ理解をされてない方は多分、「いや勝手になったんでしょ」とかって、そういうイメージも多々あると思うんですけれど。僕はそういう、自分がなりたくてなったわけでもないし、やっぱり、本当に生まれた時から、もう何か使命というか、生まれた時からのことなので。何か、そこはやっぱり、一番最初に打ち明けるっていうのがなかなか…。芸能界にいたので一人に言ったら、すぐ噂が回っちゃうんじゃないかなとか。なのでロサンゼルス、海外に行くって決めました。

夢見て渡ったLAでの苦悩の日々 光が見えた“新たな出会い”

小川キャスター:
ロサンゼルスに行かれて、どんな変化がご自身の中でありましたか。

ロサンゼルスでの出会いが“光をもたらした”

與さん:
それも本当に実は、結構周りから見ると「與真司郎ってハッピーそうだよね」「なんか人生楽しんでそうだよね」ってすごい言われるんですけれど、最初の1年、2年、僕はLAに来たら人生がすごく華やかになると思ってたんですけれど、実際にこっちに来たら、最初の1、2年は、LAに来ても、例えばゲイが集まるところに行くとしても、日本人の方もいるし、バレるのが怖いので、やっぱり行けなかったし、行ったとしても隠れて女の子の友達とちょっと行って、ちょっと隠れながらとか。LAに来てもこんな感じなんだ。友達を、コネクションを作りたいけれども、やっぱりゲイってランダムな人に言うと噂がすぐ回っちゃうんじゃないかっていうところまでやっぱり考えちゃって。

本当に最初の1、2年、日本にいても自分らしく生きていけない、ロサンゼルスにいても自分らしく生きていけない。「うわ、もうどうしよう」ってなっちゃって。そこから、もうめちゃくちゃ悩みました。僕、多分、そこが一番悩んでた時期なんじゃないかなっていうぐらい、見失うというか、何をどうしたらいいのか、もう自分でもわからなくなっちゃって。

本当にたまたま、本当にいい人と出会えて、そこからすごい人生が変わりました。その方はアメリカ人の方たちなんですけれど、ゲイの方もいれば、ストレートの人もいて、みんなが普通にゲイの人とストレートの人たちがみんな何もジャッジをせずに、普通に遊んでるんですよ。普通に会話もしてて。何のジャッジもしない。逆に気も遣ってない。本当の僕たちはそうであってほしいんですよ。別に特別扱いをして欲しいとか全く思ってなくて、ただ一緒に普通の生活をしたいだけっていうところに、その人たちと出会って初めて感じられて、やっと何か光が見えたというか。そこで、「これで負けたら駄目だ」と思って、そこからコネクションをいっぱい作って、信頼できる人を見つけました。

小川キャスター:
やっぱり人との出会いで大きく変わったところがあったんですね。

與さん:
もう、人との出会いに本当に感謝してて、本当にラッキーだと思います。だから、そういうこともあって「自分は本当に恵まれてる環境だな。だから、そういう人がやっぱり何か新しいことをしないとやっぱり駄目なのかな」っていう責任感っていうか、正直、ありました。

小さい時から葛藤「ほかの人に体験して欲しくない」

小川キャスター:
そうした中で、ご自身のお立場で、セクシュアリティを公に発表しようとされた。それはどういったきっかけがあってなんですか。

與さん:
一番最初はやっぱり、自分が小さい時にすごく自分のセクシュアリティで葛藤していたので。その辛い思いを本当にもちろんわかっているので、そういうことをもう他の人に体験して欲しくない

もう、僕はさっき言ったみたいに、ロサンゼルスに来られるきっかけをもらって、来ることができて、いろんな人と出会えて、いろんな知識を得て、いろんなことを自分で受け入れて、やっと受け入れられた、やっと自分にも自信を持てるようになれた。ってなると、やっぱり日本では、それができなかったんですよ、僕は。

特にアーティスト、芸能人でもあるので、やっぱりよくあるゲイの人たちが集まるようなところに行くこともできなかったし、そういうところが怖かった。行きたかったけれど、やっぱり行けなかった。だから、「助けを求めるには、やっぱり海外に出ないと」と思っていたので、そういう知識を得た自分がどうにか人助けを、自分なりにできることがないかなっていう思いが常にあって。

“公表の理由” セクシュアリティの悩むファンに「何か出来ることはないのか」

與さん:
やっぱりファンの方でも結構、カミングアウトの前からセクシュアリティで悩んでると相談をしてくる方も何人かいて、こういう人がファンの中にもいるんだなって思って。自分に何か出来ることはないのかなって思ってたのが一つですかね。それが一番でかい理由な気がします。

あとは先ほどとちょっと重なるかもしれないんですけれど、ファンの皆さんにちゃんと自分の口から言いたかった。噂で回るんじゃなくて、自分の口からちゃんとわかってもらえるように説明をしたかった。

あとは、もちろん、やっぱり自分の人生のために。やっぱり自分の人生のモットーとして「人生一度きり」っていうのが常にあって。悪いことをしてないっていうのがまず自分の中であって。だったら、自分らしく生きた方がいいんじゃないかっていうことに行き着いて。メンタルヘルス本も、本当にたくさん読みましたし、いろんなことを勉強して。日本ではやっぱりメンタルヘルスって、メンタルヘルス本読んでるってなると、まだちょっと「え?」っていう、多分まだそういう社会が根付いてると思うんですよね。でも、日本人って本当にいい人が多いし、自分より先に相手を気遣う本当に素晴らしいカルチャーだと思うので。何かそこが日本でも、何かもっともっとみんなが話し合える環境になったらいいなっていう思いもありました。

掴んだ成功と加速する葛藤 東京ドーム公演をやっても「心の中はズタズタ」

小川キャスター:
そう思えるようになったのは、やはり與さんご自身が「自分はこのままでもいいんだ、自分はこのままで堂々としていけばいいんだ」っていうふうに思えたからですよね。

與さん:
もう、それが多分ないとやっぱり。本当に自信がなかったんですよ、本当に。「AAAやって、ドーム(公演)やって、すごい自信あるんでしょ」みたいな。結構、友達でも言われたんですよ、「全然もうなんか、イケイケでしょう」みたいな。「いや、いや、いや、もう心の中ではもうズタズタです」みたいな(笑)。けれど、それに負けたくなかったんですよね。何か自分の中で、負けたくないっていう思いが。何で悪いことしてないのに、こんなに辛い思いをしないといけないんだろうっていうことが、やっぱり、ずっと頭の中でぐるぐるしてて。だから、そこが一番やっぱり大きかったですかね。

小川キャスター:
その中で、たくさんの葛藤を越えられて、公表の場に立って、実際、ファンの皆さんに語りかけられて、その反応を得られた時はどんなお気持ちになりましたか。

與さん:
ステージに出る前、もう、何だろう…もちろん、本当にドームの前で、何万人の前でパフォーマンスさせて頂いたし、色んな緊張する場面って、この芸能界に入って、もう18年、デビュー前から入れたら20年、たくさんあったんですけれど、あの緊張は本当になくって。

カミングアウト当日 覚悟したバッシング 予想外の声援に涙

與さん:
本当、一言も変に伝わって欲しくなかったので、当日は手紙を読ませていただいたんですよ。その手紙をもう持ってるのも震えちゃって、声も震えてるし。自分が昔の思い出を話す時にやっぱり泣いてしまった。本当に泣くつもりもなかったし、泣きたくなかったんですけれど。やっぱり感情がすごい、いろんな思いが何かその時に溢れ出ちゃって、泣いてしまった時に、ファンの皆さんが「真ちゃん気にしないで」とか、「頑張って」とかって。「え、そんなこと言ってくれるの?」っていうのにまた泣いちゃって。

もう、僕は本当にバッシングを覚悟であのイベントをやったので。だから、思った反応と違いすぎて、本当に最初は戸惑いました。

受け入れられないファン 「何も悪くない」“いつか”の理解を願って

與さん:
無事に一日を終えて、やっぱり何日かたって、やっぱりバッシングもありましたし。もちろん、それは100人いたら、何人かやっぱり受け入れてもらえない人ももちろんいるっていうのも覚悟してましたし。ファンの方でも「真ちゃんのことは大好きだけど、やっぱり私はまだ受け入れられません」と(いう方もいる)。それも本当に何も悪くないというか、それも本当に理解するし、全員が全員、すぐあの日でわかってくれよとも思ってなかったですし。けれど、いつかそういう人たちが、5年後、10年後、20年後になるかもしれないけれど、あんなことあったよね、あんなことを何か(特別扱いしていた)っていう社会になってくれれば、嬉しいなって思います。

会場で見守ってたAAAの仲間たち「応援してる」「何も変わらないよ」

小川キャスター:
少しずつそういう(多様性を尊重できる)社会になっていく、その一つの大きなきっかけになるような與さんのカミングアウトだったんじゃないかなというふうに思いますけれども、その(カミングアウトの)場ではメンバーの皆さんもいらっしゃいましたよね。AAAのメンバーの皆さんにお伝えになられた時というのは、どんな思いがあったのか。そこからどんな言葉を得て、どんなふうに感じたか、お聞かせいただけますか。

與さん:
みんな、カミングアウトした時は本当に受け入れてくれて。気づいてないメンバーがほとんどだったんですけれど。何かみんな「応援してるよ」「全然もう何も変わらないよ」ってみんな言ってくれて。みんな本当に当日もすごい背中を押してくれて、めちゃくちゃ良いサポートをしてくれました。

最初に伝えた宇野美彩子 今も続くあたたかな心遣い

小川キャスター:
メンバーの皆さんのサポートの大切さというのはどんなふうにお感じになりますか。

與さん:
やっぱりもう14歳から知っている仲間なので。カミングアウトってやっぱり、月日が長いと長いだけしづらいんですよ。これは僕だけかもしれないんですけれど、やっぱり家族に言うっていうのが本当にめちゃくちゃハードルが高くて。その後は、やっぱりメンバーも小さい時からずっと苦楽をともにしてきた仲間なので、なかなかやっぱり言えなくて。言う時もやっぱりすごい緊張しましたし。

一番最初に言ったのは、宇野実彩子という女性メンバーの宇野ちゃんなんですけれど、もう宇野ちゃんなんて最初、全然気づいてなかったんです。びっくりしてたけれど、もうそこからずっと応援してくれて、未だに本当にもう、ずっと連絡も取って、「大丈夫?」とか言ってくれて。なんかそういうあたたかいことを、やっぱり気を遣ってくれてるんだなって思うだけで本当に涙が出そうになるし、メンバーに本当に感謝しています。