「何を言ったら人々がわかってくれるのか、ファンのみんなが受け入れてくれるのか」
小川キャスター:
表に出る立場で表現する仕事をされている方が、ご自身のセクシュアリティをカミングアウトなさるっていうことは、そうあることではないですし、まして與さんのようにキャリアと影響力のある方が公言されるというのは、本当に稀なことだと思うんですよね。
これは相当な勇気と覚悟が必要だったことなんじゃないかなというふうに想像するんですけれども、受け止め手の一人である私としては、すごく嬉しいっていう表現は変ですけれども「ああ、こういう方がこうやって出てきてくださったんだな」っていう。「こういうふうにご自身の言葉で表現してくださる方が、こんなふうに出てきてくださったんだな」っていうのはすごく嬉しかったですね。
ですから、ご自身は変わらないという感覚があるというふうにおっしゃってましたけれども、端から見ているとすごく変わったなっていうか、大きな変化の一つだったなっていうふうに感じました。
與さん:
本当に嬉しい、そんなこと…。 いま、本当にうれしい気持ちです、本当にありがとうございます。そう言ってもらえると心が「ハァ」ってなります。
小川キャスター:
でもやっぱり勇気がいる決断というのをなさったことについては、どのようにお感じになってますか。
與さん:
誰もやったことがないことをやるって、やっぱりこんなに大変なんだなっていう。レールが敷かれていないので、誰を真似したらいいのかもわからないので、何が正解なのかもわからない。何を言ったら人々がわかってくれるのかとか、自分のファンのみんなが受け入れてくれるのかとか。本当にそこがもう大変だったなって思います。
幼少期から感じた違和感「何で人と違うのか、答えを出せない時代だった」
小川キャスター:
そこに至るまでの様々な葛藤が、與さんご自身の人生の中でおありになったと思うんですけれど、そもそもちょっと遡ってお話を伺いたいんですが、ご自身のセクシュアリティを認識された、気づきがあったのはいつのことですか。
與さん:
何となく自分が「あれ、人と違うな」っていうのは、小さい時からやっぱりありました、正直。やっぱりその時って、インスタグラムやインターネットなど、いろんな情報がない時代だったので。僕も今年35歳になりますが、情報がやっぱり少ない時代だったので、本当にテレビを見ても、新聞を見ても、雑誌を見ても、全てやっぱりストレート(異性愛者)の社会が当たり前っていう。
だから、どこで自分のセクシュアリティが間違ってるとか、間違ってないとか、何が正解なのかもわからないっていう状況がずっと続いたので。小さい時から何となく気づいていたんですけれど、実際、自分がなんなのかっていうのも、時間がかかりました。それが何なのかっていう、何で人と違うのかっていうところも答えを出せない時代だったので。そこはすごく大変だったから、今思うと本当に今みたいな時代で、すぐインターネットで調べられる時代に生まれたら、もうちょっと違ったかなとは思います。
少年時代の葛藤「セクシュアリティを考えなくていいように夢に向かって走った」
小川キャスター:
その中で「ああ、こういうことなのかな」っていうふうに徐々にご自身の心を、その一端を理解できるようになったのはどういったことがきっかけですか。
與さん:
やっぱり中学生ぐらいになってくると、友達のみんなが「誰が好き」ってそういう話になって、みんな女の子が好き。それも自分であわせなきゃいけないから、どうしよう、どうしようってなって。どうしたらいいのかわからないっていう状況になってて、やっぱり自分を隠すしかないというか。だから常に人を気にして生きてきたかなって思います。
なので、それが自分の中で嫌で、「このままじゃやばい。これは駄目だ」と思って。たまたま小学校5年生ぐらいの時にダンスにはまって、もう中学生の時はダンス!ダンス!ダンス!ってなってて、ダンサーで有名になりたいと思っていたので、もう仕事にフォーカスしてました。仕事っていうか、自分の夢を叶えるために、そのセクシュアリティを考えなくていいように、自分の夢に向かって走ってました。もうそれ一本で。
14歳から芸能界にいるので、もうそこに集中するしか自分のメンタルが保てないというか。だから本当にそこはいいチャンス、きっかけはもらえたなと思います。

















