妻との思い出と、備えの大切さを忘れずに
胆振東部地震から、ことしで5年。清光さんは仮設住宅を離れ、災害公営住宅で暮らしています。この5年間を一緒に過ごしてきた仲間は、今も近所で顔を合わせる人もいれば、施設に入った人も、亡くなってしまった人もいるといいます。
清光さんも体調を崩した時期がありましたが「まだ杖もいらない、元気に相変わらず出かけてるよ」と笑顔を見せてくれました。玄関前のコスモスは、かつてサダ子さんと過ごした自宅前のものを植え直したものだといいます。

花の世話が、今の生きがいだといいます。サダ子さんの仏壇に供えるため、菊も育てていて、つぼみが開くのを待っています。
以前から清光さんは「だいたい85、86歳くらいが寿命かな」と考えていたそうです。サダ子さんが亡くなったのは81歳でした。清光さんはそれから5年の日々を生き、86歳になりました。
「だから俺はね、90歳まで生きるんだ。家内の分までね、2人分生きるんだ」
花を見つめる横顔が、胆振東部地震が奪ったものの大きさと、忘れてはいけない教訓を物語っています。