
避難所生活で体調に異変…サダ子さんにかけた言葉への後悔
避難所では、段ボールベッドが届くまでの間「ごろ寝で、枡の中のような感じで、1週間くらい」過ごしたといいます。
そのころから、サダ子さんは胃の痛みを訴え始め、入浴を嫌がるようになっていました。しかし避難生活では、清潔を保つことも大事なことです。清光さんはサダ子さんに風呂に行くように勧めていました。
「やっと段ボールベッドになってから3~4日しかいなかったんでないかな。ストレスがたまるのも無理もない」
地震から、12日後のことでした。
「『お風呂に入ってこい』って言ったら、家内はあんまりいい気しなかった。それでも家内が『あたし先に行ってるわ』って。それで出て行ったきり、お別れ。それがお別れだった」
9月18日、午後3時ごろ。サダ子さんは避難所の浴槽で倒れているのが見つかりました。

避難所に響く救急車のサイレン。
清光さんは看護師に呼ばれ避難所の外に出ると、サダ子さんは担架に乗せられていました。そして心臓マッサージを受けながら、病院へ運ばれました。
清光さんは「俺が手をつかまえていたんだ。だんだんだんだん、時間がたつにつれて、冷たくなってきたもん」と振り返ります。
サダ子さんは、その後、目を覚ますことはありませんでした。
「地震のせいか、自分のせいか」自分を責める清光さん
妻を失った清光さんは、厚真町の仮設住宅で一人で暮らすことになりました。
「大変だわ、やっぱり一人で暮らすのはね。ごはんを炊くのは、家内にまかせきりだった。俺はごはん炊いたことない」
仏壇はいつも、サダ子さんの好きだったものでいっぱいです。
サダ子さんが好きだった花の手入れも欠かさずにいます。

「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏…。まーいにち、お参りだ」
清光さんは、サダ子さんは地震によるストレスが原因の“災害関連死”ではないかと考えていました。
「避難所にいて一緒にみんなとごろ寝しながら、がんばっていたのが突然亡くなって。“関連死”にでもなってくれれば、家内は浮かばれると思う。震災で亡くなった人は、北海道だとか厚真町だとかで慰霊ってものがされているしょ。家内の場合は普通の人と同じような感じだから」

地震から100日がたった、2018年12月15日に行われた慰霊式に、清光さんは遺族として呼ばれませんでした。サダ子さんの死は、災害関連死と認められていなかったからです。