「決まるもの決まらないと、何も進まないんだ」
多くの人が大切な人や家を失った厚真町。
この頃の取材で出会った誰もが、精一杯に見えました。
田畑を土砂に埋められた人。
家を失い、今後の生活に不安を抱える人。
土砂の前に立ち尽くし、行方がわからなくなった大切な人を待ち続ける人。
町職員も、土砂崩れに巻き込まれ亡くなりました。
同僚を失い、自らも被災者である町職員は、町民の支援にあたっていました。
厚真町役場は地震から半年が経っても、被災者支援に追われ災害関連死の手続きに、着手できない状況が続いていました。
清光さん自身も災害関連死の認定について、大きな声は上げずにいました。
それでも災害関連死、つまり「地震が原因で亡くなった」と認められることは遺族にとって大きな意味があると、私は清光さんの言葉で気づかされました。
清光さんは「妻のサダ子が亡くなったのは『自分のせい』と思ってしまう」と言うのです。
「俺が風呂に行けって言って行ったんだから、それで命落としたんだってさ。いまだにそれは残ってる。言わなければよかったなって」

『地震のせい』でなければ、『自分のせい』ではないかと、自分を責めていた清光さん。サダ子さんのためにも災害関連死と認定され「地震の犠牲者」として慰霊してもらうことを望んでいました。
「決まるもの決まらないと逝くとこ逝けないしょ。浄土の世界に行けない。何も進まないんだ。みんな全部止まってるんだ」