大韓航空機パイロットの単純ミスと置き去りにされた遺族の声

 1991年にソビエトが崩壊すると、事態は動き出しました。新体制となったロシア政府は、撃墜直後にブラックボックスを回収していたことを認めたのです。そして1993年1月、ブラックボックス本体と撃墜した戦闘機との交信記録をICAO(国際民間航空機関)に提出。これを受けてICAOは、事件の再調査を実施し、同年6月に最終報告書を公表しました。
 それによりますと、大韓航空機が航路を逸脱した原因は、パイロットが所定の航空路に乗った段階で行うべき自動操縦装置のモード切り替えを行っていなかったことでした。またボイスレコーダー(ブラックボックスの一部)には、パイロットが航路を逸脱していることにも、ソビエト軍戦闘機からの警告射撃にも、気づいている気配はありませんでした。

自動操縦装置の入力パネル 正しく操作すれば設定したコースを自動的に飛行(当時の映像より)
大韓航空007便と同型のボーイング747の操縦席
切り替えを忘れたと推定される自動操縦装置のモードセレクター

 その一方で、ソビエト側が主張していたスパイ飛行を示す証拠は、一切ありませんでした。世界中を震かんさせた撃墜事件の原因は、パイロットの単純ミスだったのです。そしてソビエト側は、機体はアメリカ軍の偵察機だと思い込み、十分な確認を行わないまま、大韓航空007便に向けてミサイルを発射しました。
 当時のソビエトは、ブラックボックスの解析により、撃墜から2か月後には大韓航空機が航路を逸脱した原因をつかんでいました。しかし国際社会の非難を恐れて隠蔽。真相究明を求める乗客家族の声は、東西冷戦の壁に阻まれたのでした(※3)。