関係者ら取材で追う青葉被告の人物像 幼少期・社会人時代

 36人の命を奪いながら自らは生きながらえた青葉真司被告。一体どんな人物なのか。私たちは今回、改めて関係者らを取材してその人物像を追った。

 埼玉県さいたま市、青葉被告は45年前にこの町で生まれた。両親・兄・妹の5人家族だったが、青葉被告が9歳のころに両親が離婚。子どもたち3人はタクシー運転手の父親に引き取られてアパートで暮らしていた。
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 穏やかな表情でほほ笑むのは小学6年生のころの青葉被告である。体格がよい活発な子どもだったという。

 (小学校時代の同級生)「内向的というより活発な子でしたね。当時は冗談も通じましたし」

 子どもが同級生だという女性は次のように話した。

 (同級生の母親)「いい子でした。いい子でしたよ。今の姿を見るとね、とてもお答えできません。いい子でしたから」

 複雑な家庭環境がそう思わせたのか、卒業アルバムには「夢は大金持ち」と書かれていた。
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 その後、地元の高校の定時制に通いながら埼玉県庁の非常勤職員として3年間働いた。庁内の郵便物を仕分けする文書課に所属していたという。

 取材を進めると、青葉被告の上司だった女性にたどり着くことができた。

 (青葉真司被告の元上司)「(同僚からは)青葉くんと呼ばれていて。細くてすごく美男子だったんですよ。真面目に仕事はしていましたよね。仕事は言われたことは全部ちゃんとやるし、(仕事ぶりは)普通よりもちょっと上という感じですかね」