東京五輪の7位と並んだことの意味

東京五輪は日本郵政グループに入社3年目。駅伝でもトラックでも日本トップクラスの実績はあったが、国際大会の経験は少なかった。

「初めての世界の舞台ということで、何もわからず、誰も知らないで、どの選手が強いのかという情報もないままで出場しました。でも、ここまで来たからには挑戦するんだっていう気持ちで走りました」

怖い物知らずで、ただただ世界に向かって思い切り走ったのが東京五輪だった。それが世界陸上オレゴンに出場した昨シーズンを経て、今回のブダペストで東京五輪と同じ7位になった。その意味は廣中にとって大きい。

「大半の選手の力がわかってきました。みんな1500mだったり5000mだったり、短い距離の種目もやっているからラストも強い。その中で最後まで勝負ができるかを、常に頭に置きながらやってきました。それが少しずつ身になって、入賞を勝ち取れたのは本当に嬉しいです」

21年当時は成長の真っ盛りで、なおかつ地元開催の五輪で思わぬ力を出すことができた。これは廣中だけでなく、東京五輪で若くして入賞した女子1500mの田中希実(23、New Balance)、男子3000m障害の三浦龍司(21、順天堂大学)にもいえることだろう。

3人とも世界の怖さを十分に知り、それでも世界のトップへ登り詰めたいと思って努力をし、今大会でも代表入りしている。再び入賞する先陣を、廣中が切ってみせた。

(TEXT by 寺田辰朗 /フリーライター)