嫁ケ島ガイド 岡崎雄二郎さん
「江戸時代は”嫁島”と言われておりましたけど、この嫁島からも石を取って松江城の石垣にして築いたという風に読み取れるわけですね。」

江戸時代の『松江亀田山千鳥城取立古説』には、嫁ケ島などから石を取って使ったとの記述があるとのこと。そこで、この時に削られて、嫁ケ島が平らになったというのが一般的な説なんだそうです。

入江直樹 記者
「どうして全部島ごと石に取ってしまわなかったんでしょう?」
嫁ケ島ガイド 岡崎雄二郎さん
「うーん、やっぱり竹生島神社という祠が以前からあったんじゃないかなと。まあ信仰の対象になっておった可能性はありますね。江戸時代、島へ渡っては漢詩とかあるいは短歌、俳句を詠んでおられますので、そういった文化的な資源としても欠かすことは出来ないと。」
入江直樹 記者
「あそこに嫁ケ島がなかったら、いかに宍道湖の景色がつまらないものになるかということですね。」

宍道湖の岸に移って見てみました。