父と疎開先へ行く途中…9歳の乗客が見た景色

当時の乗客に会うことができました。
都内に住む榎本久子さん(88)。今回、初めて取材に応じてくれました。

列車襲撃3日前の8月2日未明。八王子市は、アメリカの爆撃機B29による焼夷弾の空襲を受け、市街地の約8割が焼失。約450人が亡くなりました。

榎本久子さん
「(空襲で)何も無くなった。まだ9歳でね。だから母の家へ(疎開)私だけ頼みに行くと言って、それでこの列車に乗った。うちの父が一緒にいた」

攻撃があった5日、長野行き中央本線普通列車は、定刻より20分ほど遅れて午前10時半に新宿駅を出発。11時半ごろ、八王子駅に到着すると榎本さんは疎開先の山梨に向かうため、父親と列車に乗り込みます。車内は、同じように疎開先に向かう民間人などで、すし詰め状態でした。

そして、正午前に浅川駅に到着。約20分後に出発します。その数分後、アメリカ軍戦闘機の機銃掃射にあったのです。

榎本さんは、1両目に乗っていました。

小川キャスター「銃撃があったとき、どんな音が聞こえましたか?」
榎本さん「音なんてこと考えて…ただみんな『潜ってろ』って言われたから、うつぶせになって潜っていただけ」
小川キャスター「どこに潜った?」
榎本さん「潜るといったって電車の中の椅子の下にでも、子どもだから隠れていたんじゃないかしらね」

機銃掃射により列車は急ブレーキをかけたことで、トンネル内に機関車と客車1両半が入って急停車。トンネルの外の車両は、繰り返し攻撃されました。