1945年。終戦の10日前、東京・高尾山の麓を走る中央本線が米軍戦闘機に襲撃されました。この列車には疎開先に向かう多くの民間人などが乗っていて、50人以上の命が奪われました。なぜこの列車は狙われたのか。新たな証言や映像からわかった78年前に起こった惨劇とは。

終戦10日前 国内最大規模の「湯の花トンネル」列車襲撃

戦争の歴史を今に伝える痕跡は、街のいたるところに残されています。東京・八王子市のJR中央線・高尾駅にも痕跡はありました。ただ、その存在に目を留める人は、ほとんどいません。

太平洋戦争末期、日本本土に対し、執拗に繰り返されたアメリカ軍戦闘機などによる機銃掃射。標的は、軍事施設や工場以外のインフラ施設にも及びました。

中でも、多くの人の命を奪ったのが列車への攻撃です。民間人を乗せた列車が容赦なく狙われ、各地で大きな被害が出ました。

そして、終戦の10日前。国内最大規模の列車襲撃が起こります。

小川彩佳キャスター
「ここにこようと思わなければ、たどり着けないような場所に慰霊碑が。亡くなった方の名前と年齢が刻まれている。17歳、16歳…10代の方も多い」

1945年8月5日。高尾駅(かつての浅川駅)からほど近い「湯(い)の花トンネル」の入り口で、走行中の列車に対しアメリカ軍戦闘機が襲撃。52人以上が死亡し、133人が重軽傷を負いました。