亡き夫が監視哨の任務に 国を守るため未成年の少年・少女も動員

多田さんが訪ねたのは、新居浜市在住の小野美重子(みえこ)さん(94)。写真は、亡くなった夫・清里(きよさと)さんが保管していました。
多田さん
「監視哨、この建物をご覧になっていますか?」
美重子さん
「監視哨のことを大きな声では言えなかった。女子は皆、銃後の守りをして少年らは交代で番をする。飛行機が来ているか見ていたらしい」

写真には、当時10代後半だった清里さんが写っています。清里さんは、その後、出征。そして1947年、美重子さんと結婚しましたが、監視哨の任務については口にしなかったといいます。
美重子さん
「監視哨とは言っていたが、一切、監視哨の中身のことは外では言わなかった。戦争のことに関しては何にも言えなかった。絶対にそれは言えなかった」
防空監視哨での監視は24時間体制で行われ、出征前の主に14~18歳までの少年が任務についていました。

多田さんの調査では、戦時中、愛媛県内には約30か所の防空監視哨が存在し、推定で延べ3000人の少年たちが動員されたと考えられています。少年たちを励ますために、同世代の少女たちが食事などで交流する慰問活動も行われ、清里さんが残した写真は、その際、撮影したものと見られています。
80年前の集合写真には、国を守るために未成年の少年・少女も動員された事実が記録されていました。