“貧しさを使う” 若者を戦闘員にするフーシ派の手口

実は彼らは14、5歳で強制的にフーシ派に加入させられ、逃れてきたのだ。フーシ派は少年たちに強制的に思想教育や軍事訓練を行なっている。

投降兵はフーシ派が支配している故郷に帰れない。家族と共に別の町に避難し暮らしている。

フーシ派の投降兵
「フーシ派の教育を強制されました」
「私もフーシ派の思想を教える場所に2週間行かされて、反論もできなかった。そこで別人みたいになった人もいた」

フーシ派は自分達が他の人々よりも優れているという思想教育を行なっていた。

フーシ派の投降兵
「私たちはイエメン人なのにフーシ派は差別意識を植え付けてきます」

ーーその意見をフーシ派の前で言えますか?

フーシ派の投降兵
「言えません!拷問されます」

永井さんは、若者をフーシ派の戦闘員にする手口と実態を、父親たちから聞き取る調査に来た。

フーシ派の戦闘員を息子に持つ父親
「1つ目のやり方は、フーシ派は有力者を自分たちの側につかせるんです。いろんなものを与えてフーシ派の仲間にするんです。2つ目のやり方は貧しさを使います。貧困のために息子たちを行かせるしかありません。食べ物もなくて息子たちを差し出すしかないのです。フーシ派は従わない人の家を爆破することもある」

「イエメンの平和はイエメンによって作られるべき」

フーシ派の若者たちが戦争捕虜としてイエメン政府に収容された場所がある。その「タイズ中央刑務所内戦争捕虜特別収容所」も前線に近いためスナイパーによる銃痕が。迫撃砲の破片も敷地内に落ちている。撮影中にもフーシ派の銃声が聞こえた。

収容所で異例のカメラ撮影が許可された。永井さんはイエメン政府と協力して戦争捕虜150人への社会復帰支援を行っている。以前は窓のない部屋に、すし詰め状態で入れられていたそうだ。永井さんは現在、宗教指導者とともに、社会復帰の準備のための講義を行っている。

永井陽右さん
「彼らの収容期間は決まっていない。だから多くは鬱で絶望している。だから今日の講義ではぜひ、彼らのやる気を起こして励ましてほしい」

捕虜たちはかつては部屋を出ることも許されていなかったが、週に2回、講義に出席できるようになった。

イエメン政府も多くの捕虜の処遇に苦慮している。先の見えないまま、4、5年収容されている人もいる。

イスラム教の指導者 トゥフィク・サバイさん
「収容所にいたからといって人生は終わったわけではありません。『無駄な時間を過ごしている』『抑圧されている』と思っていませんか。違います。収容所から新しく人生をはじめるのです」

「質問です。みなさんの中に釈放後どうしたいか考えている人はいますか?」

捕虜
「釈放されたら自分の技術をつかって働きたい。家の装飾や、電気の配線など。自分自身で十分な収入を得られるようにしたい。もう二度と、こういう争いごとに関わろうと思わなくて済むように」

別の捕虜
「健康な体でここを出てエンジニアになりたい」

イスラム教の指導者 トゥフイク・サバイさん
「つまりそれは釈放後、新しいことをはじめたいのですね?」

捕虜たち
「そうです。そうです」

永井陽右さん
「私は外国人、日本人としてイエメンの平和、戦争のことを学んでいる。サウジアラビア、イラン、アラブ首長国連邦など、いろんな国が関係している。でもここはイエメン。イエメンの平和はイエメンによって作られるべきだと思う。だからあなたたちイエメン人が鍵なんだ」