ディックさんの母・ジョイスさんが、戦前に結婚していた最初の夫の墓です。

最初の夫が「死の行進」で死亡したため、生きて帰ってきた夫の親友と再婚したのです。

ディックさんの弟・ジョンさん:                                      「母は2人の夫が『死の行進』で被害を受けました。彼(最初の夫)の遺体が見つかったのは2000年を過ぎたころでした。この碑文は彼女が亡くなる前に書いたのでしょう。当時、遺体が見つかったことをとても喜んでいました」


上野光司さん:                                               「あれは何のための戦いだったのか。オーストラリアの人の話を聞くと本当に胸が痛む」

戦時中の悲劇は、「死の行進」だけではありません。

シンシア・オンさんは、祖父や曽祖父など家族7人が、スパイ容疑などによって日本軍に殺害されました。


親族7人が被害に遭ったシンシアさん:                                               「私は日本人に会うといつも話しかけていました。『第二次大戦のこと知っていますか?』と。そこで話は終了…。本当に長い間、日本人と対話したいと思っていたんです」

国と国との争いが、ごく普通の人たちを巻き込む戦争。

シンシアさんは、単純に敵・味方を分けるのではなく、お互いの痛みを知り、対話をすることが、癒しにつながると考えています。

「和解」の旅の最終日、霊峰・キナバル山を望むシンシアさんの自宅で、合同の慰霊祭が行われました。