事件から57年、1度目の再審開始決定から9年を経て、東京高裁が「袴田事件」の再審開始を決定した。いよいよ無罪に向けての再審が始まる。しかし、検察側は特別抗告こそ断念したものの改めて有罪立証を目指すと主張している。再審請求が通るということは“無罪の可能性を示す証拠”があり、無罪になる可能性が極めて高いことを意味する。にもかかわらず50年以上前の事件の有罪立証に動くという検察の“論理”と“精神”を議論した。
「検察庁の都合だと私は思ってます」
逮捕当時30歳だった袴田巌死刑囚(無罪が確定するまで身分は死刑囚のまま)は87歳になった。事件は1966年に静岡県旧清水市で起きた。味噌製造会社の一家4人が殺害された。逮捕された元従業員、袴田巌さんは否認。しかし、1日平均12時間の過酷な取り調べの末、逮捕から19日後に自白する。当時の捜査記録からは、当初から犯人だと決めつけていた結論ありきの捜査であったことが伺えた。取り調べ中の音声が一部残っている。

(取り調べ1日目より)
袴田「ほかに犯人が挙がったらどうする?」
取調官「ほかに挙がったら?ないだろ、挙がりっこない」
袴田「挙がる、必ず挙がる」
取調官「ほかにはな、出るわけない」
(取り調べ19日目より)
取調官「泣いてみろ、袴田、すっとするぞ」
(袴田さんはもう言葉を発しない)
取調官「4人を殺しただろ?息も絶え絶えになった人に火をつけて。そんな恐ろしいことをした、お前は犯人じゃないか」「それが死んだ人間にはな?謝罪ができないってことがあるか?」「分かるか、袴田。分かるだろ、袴田。分かるな、な。分かるな…」
この取り調べの翌日、袴田さんは自白したことになっている。自白した時の犯行時の着衣はパジャマ。検察の主張に沿ったものだった。しかし事件から1年以上たって味噌樽の中から犯行時の服とみられるものが発見され事態は一変する。袴田さんはこの服で犯行をして味噌樽に隠したと、検察の主張は変わった。明らかにズボンのサイズが小さかったが、味噌に1年以上漬かっていたので縮んだと検察は主張した。裁判は長期にわたり、14年後、死刑が確定する。ここから再審の戦いが始まったのだ。そして、およそ42年の歳月。

再審請求の過程でようやく出された証拠のカラー写真。これをみると、服についた血痕が赤く、味噌に漬けていた割には不自然だったことを弁護側は主張している。今回の再審請求でも、1年以上味噌に漬けた衣類では血液は変色し、赤味は残らないことを弁護側が実証。裁判所もこれを認め、「証拠とされた血に染まった衣類は捜査機関の捏造である可能性が高い」とまで踏み込んだ理由を明示し、再審開始を決定した。
しかし、検察は7人の法医学者の共同鑑定書をもって赤味が残ることは不自然ではないと主張。有罪立証に努める構えだ。この検察の姿勢について袴田さんの姉、ひで子さんに聞いた。

袴田巌さんの姉 袴田ひで子さん(90歳)
「(有罪立証の方針は)検察庁の都合だと私は思ってます。もう57年戦ってますから(無罪確定まで)あと3年や5年どうってことないですよ。もう先が見えてますもん。皆さんが怒ってくれてますから、私は怒らない」