鹿児島実業高校から2013年ドラフト2位で阪神に入団 プロ3年目で開幕1軍スタメン 将来を嘱望されていた
―――ミスタータイガース・掛布雅之さんとお伝えします。非常にお伝えするのが残念ですが、阪神タイガースで外野手として2014年から2019年までプレーした横田慎太郎さんが7月18日、脳腫瘍のため亡くなりました。28歳でした。非常に若くしてこの世を去りました。横田さんといいますか、きょうはあえて「横田選手」と言わせてください。掛布さんが2軍監督時代(2016年~2017年)の教え子であり、2軍監督を引き受けるきっかけになった選手なんですね?
掛布雅之さん:僕は、阪神タイガースに戻る、育成という形で戻るときに中村勝広GMから電話がありまして、「今度、鹿児島からすごい左の長距離バッターが入ってくるんだ」と。「30本以上に打てる選手にしたいんだ」「協力してくれないか」と。それで阪神に戻っていったんです。彼がきっかけなんです。
―――横田選手を一人前にするために掛布さんが呼ばれたと?
掛布雅之さん:そうなんです。だからすごく残念でつらいんですよ。(横田選手は)何をやるにも一生懸命。だからみんなから好かれるんですね。
―――横田選手の最初の印象は?
掛布雅之さん:まぁ不器用なやつで、ちょっと手がね、ひじが開いてしまうんです。その辺りちょっと気になりました。それをどうにか直さないといいバッターにはなれないなということで、ちょっと苦労しました。
―――鹿児島出身で、鹿児島実業高校から2013年ドラフト2位で阪神に入団。プロ3年目で開幕1軍でスタメンをつかむほど将来を嘱望された選手でしたが、脳腫瘍が判明。その後、寛解し、復帰するも2019年に引退されました。一度戻ってきて、もしかしたらということもありました。
掛布雅之さん:そうなんです。ただ、戻ってきてもボールがはっきり見えるような状態まで視力は戻らなかったようですね。














