「体の続く限り、私一人で介護する」仕事に追われ気づかなかった妻の異変と被告の決意

藤原被告が妻・照子さんと出会ったのは今からおよそ55年前。
当時、大手スーパーのバイヤーとして仕事に没頭していた藤原被告は出張も多く、月の半分近くは家を空ける生活。家事は照子さんに任せっきりだったという。そんな矢先、生活が一変した。
1978年、照子さんが自宅で倒れ脳梗塞と診断された。そして、左半身不随となった。藤原被告が39歳、妻照子さんが37歳の時だった。

この時、藤原被告は医師から諭されたという。

医師:「脳梗塞です。ここまで悪化しているのに気づかなかったのか?」
藤原被告:「仕事が忙しく、脳梗塞の兆候に気づかなかった」
医師:「兆候があったはずだ。あなたにも責任がある」

藤原被告は「自分のせいで妻が脳梗塞になった」と自身を責め、ある決意をしたという。
「体の続く限り、私一人で介護する」。

記者
「(介護について)誰かに相談しなかったんですか?」

藤原被告
「“頑固親父”って言葉知ってる?俺は頑固な性格だから『俺一人で面倒見るんだ』と強い決心をした。決意がなかったらもっと早く事件を起こしていただろうよ」

今まで淡々と話していた藤原被告が突然、語気を強めて話し始めた。妻の介護への思いの強さが感じられた。そんな話し方だった。

「誰かに相談していれば・・・」問われる妻の"所有化"と男の後悔

藤原被告
「2022年7月頃、家内の体調がおかしくなって…その時に誰かに相談していればこうならなかった」

記者
「息子さんとかケアマネージャーには相談しなかったんですか?」

藤原被告
「息子には精神的・金銭的な負担をかけたくなかったし、ケアマネージャーにも相談しなかった」

裁判に証人として出廷したケアマネージャーは、事件前の藤原被告の様子についてこう証言する。

【第3回公判 証人尋問より】
弁護人:藤原被告は他人の手を借りたくなかった?
ケアマネージャー:はい。
弁護人:そういった気持ちはどこから来るものだと思う?
ケアマネージャー:もちろん愛情だと思うが、いつからか「介護を自分でやらないといけない」という強いこだわりを持ち、照子さんを所有物化していったと思う。

面会では、藤原被告が“自身の死”を意識した発言をすることもあった。

藤原被告
「彼女を突き落として何で自分がのうのうと生きているんだろう」

照子さんは海に落とされる直前、「いやだ」と大きな声を上げた。それが最期の言葉だったという。

記者
「今回起こしてしまった事件について思うことは?」

藤原被告
「私がとんちんかんだったと言う話。あのときはもう頭が・・・」

記者
「照子さんに対して、今何を思いますか?」

藤原被告
「ただ家内の冥福を祈るだけです。解決するわけじゃないけど、もういないんだから」