「悩みながらも小さな喜びを感じて生きている」

迎えた直接質問の日。

剛志さん「今幸せですか?」
植松死刑囚「幸せではありません。どうだろう」
剛志さん「なぜ幸せではないんですか?」
植松死刑囚「面倒だから。・・・今のはちょっと失礼だ・・・。不自由だからです」

剛志さん「意思疎通がとれない人を“心失者”と語っていましたね」
植松死刑囚「はい。それが正しい考えだと思ったからです」
剛志さん「何を根拠に?」
植松死刑囚「お金と時間を奪っているからです」

剛志さん「子どものころ友人とか家族と遊びにどんなところへ行きましたか」
植松死刑囚「川とか海とか、両親とも行きました」
剛志さん「両親と他にどこに行きましたか」
植松死刑囚「・・・特に言う必要はありません」

20分間の質問を終えた剛志さんは…

「『殺すことは仕方ないんだ、当然なんだ』っていう考えが、何も変わっていないんです。なぜそういう罪を犯したのかという過程を僕らは知りたい」

裁判では、剛志さんが初めて知った一矢さんに関する事実がありました。
それが冒頭に記した、やまゆり園の男性職員の供述調書の内容でした。

職員は、廊下の手すりに両手を結束バンドでしばりつけられ、身動きがとれなくなっていました。

「尾野さんが『痛い』と言って出てきました。利用者の前で怖がってはいけないと、『痛いけど頑張ってね。携帯とって、四角いのとって』と言うと、リビングから携帯電話を持ってきてくれました」(供述調書より)

この職員の調書の読み上げを、剛志さんは傍聴席で泣きながら聞きました。

「うちの息子が『痛い、痛い』って言いながらよく頑張ったなって本当に褒めてやりたい」(剛志さん)

17日に及んだ裁判。植松死刑囚の障害者への差別的な主張が変わることはありませんでした。

剛志さんは、最後に、意見陳述でこう語りかけました。

「被告がなぜこのような考えに至ったのか、私たちには到底、理解ができません。絶対に許すことはできません。私たち重度の知的障害の子供を持つ家族の生活は、決してきれい事だけでは語れないけれど、悩みながらも小さな喜びを感じて生きているのです」

下された判決は、死刑でした。

判決を受けて剛志さんは…

「事件を起こした背景とかは裁判では全然語られないまま終わってしまった。僕は絶対に風化させないという気持ちでいます」

この後、植松死刑囚の弁護人が控訴しましたが、それを自ら取り下げ、死刑が確定しました。