「焼夷弾」が街を焼き尽くした
仙台市などによりますと、犠牲者は1399人、被災した市民はおよそ5万7000人に上ります。これは、当時の仙台市の人口の4分の1にあたります。B―29が仙台を爆撃した時間はおよそ2時間で、これにより市内の27%の土地が焼失しました。「一夜にして…」といった表現が使われますが、実際には未明の短時間で仙台の街が焼き尽くされたことになります。

当時、アメリカ軍が使用したのは「焼夷弾」と呼ばれる兵器でした。しかも、効率良く焼き払うため威力の違う2種類を使っていました。先行部隊が投下したのが「油脂焼夷弾」と呼ばれる兵器。落下すると激しく炎上する特性があり、およそ1万発が投下されました。この炎上には、街を焼くだけでなく後続機の目印となる役割もありました。
そして、後続機が投下したのが小型の筒状の焼夷弾。建物の屋根を突き破り地面に突き刺さるとマグネシウムの燃焼により高温の炎をまき散らします。23万発以上が投下されました。

大小どちらの焼夷弾も共通していたのは化学物質を使った火災のため「消せない」ということ。