カネミ倉庫、事件発生以来初めてテレビカメラが現場に…
北九州市で操業を続けるカネミ倉庫。今回、事件発生以来初めて、現場にテレビカメラが取材に入った。

父親の跡を継いだ3代目、加藤大明社長(66)だ。
カネミ倉庫 加藤大明社長
「(体調大丈夫ですか?)せっかく来てくれちょん」
製油に使っている機械類はどれも昭和のもの。燃費が悪いうえ、廃盤になったものも多く、部品ひとつ壊れても、特注でしか手に入らないという。

従業員
「こんなのも全部やり替えないと危ないけど、お金かかるんで。(何年くらいですかね?)多分、事件を起こす前からある。50年以上ってことですね」
患者に払う医療費は、年間およそ1億円。資金繰りは厳しく、経営難に陥る可能性がつきまとう。国は「政府米」の保管業務を優先的に発注することで、カネミ倉庫を支援している。
加藤社長
「『政府指定倉庫』ですから2万トン超の(発注がある)。その蔵料が入るので、多額の負担に耐えられるようになったのは事実」
事件発覚当時、加藤社長は11歳だった。
加藤社長
「人生最悪の日だった。誰も話しかけてこない。こっちから話すと知らん顔される。記者が小学校5年の私を取り囲んで『お父さんどこおる?どこに行った?』って」
ラジオ体操から始業するカネミ倉庫。毎朝、従業員全員で黙とうを捧げ、被害者の全快を願う。ただ…
加藤社長
「とにかく『できないことはできない』と言うしかない。どれだけ罵詈雑言浴びせられても『申し訳ないけどそれはできません』と。ここからもう一個上行くと、会社として(継続が)難しい」
次世代まで補償すれば、倒産に追い込まれるとするカネミ倉庫。では、どこが補償を担うのか?

原因物質となったPCB。その9割は兵庫県高砂市にある『カネカ高砂工業所』で作られた。名前は似ているがカネミ倉庫とは関係のない別の会社だ。
高砂市を訪ねると、半世紀にわたるPCBの処理問題が住宅地の側に広がっていた。

元高砂市議会議員 井奥まさきさん
「ずーっとこの辺一帯が全部、PCBを埋め立てた丘なんですよ」
通称「PCBの丘」。カネカなどが海に流したPCB、その汚染土を盛り固めたものだ。広さ5ヘクタールある。海底に溜まったPCB汚染土を無害化する技術はなく、根こそぎすくい上げ、コンクリートで閉じ込めたという。

井奥さん
「“夢の技術”に飛びついたらいけないという『教訓』の典型的な話。こんなに処理しきれないものを、人間が扱ってはいけなかったかもしれない」
36年前、カネカは被害者との裁判で総額105億円を支払う代わりに、「事件には責任がない」とする和解を結んだ。しかし当時は、被害が次世代にまで及ぶことは、想定されていなかった。
油症二世 三苫哲也さん(53)
「カネミ油症被害者の多くは『この世にPCBがなかったら、カネカがPCBを製造していなかったら、私の人生は狂っていなかった』と訴えている」
被害者達は、『次世代には和解の内容は及ばない』、として、カネカに救済を求めている。当時の原告ではない、子や孫への補償をどう考えるのか?
カネカは私達の取材に対し、「尽くすべきは尽くしてきた」とする回答書をよせた。