世界文化遺産に登録されている、読谷村の座喜味城跡。滑らかな曲線を描く城壁は、国内外から多くの人を惹き付けます。360度、村のほぼ全域を見渡すことができるため、復帰前この地形を利用し、ある施設が置かれていました。

城壁の上に立つアメリカ兵。横に見える地球儀のような球体は、アメリカ軍のレーダーです。ここはかつて、ミサイルをコントロールする誘導基地でした。

仲村渠一俊さん「ゲートはここにありました。ミサイルは、この建物の裏のちょっと高いところ。墓の後ろかな。正面をみると、10時の方向ね。ここにミサイルがありました」

仲村渠一俊さん、69歳。小中学校の登校時に、通学路でミサイルを目にしていました。

仲村渠一俊さん「直立ですよ、こうしていつも空をにらんでいるわけですよ、こう3本こうして」

誘導基地があった座喜味城から、海側におよそ2.5キロ離れた瀬名波地区。ここには、実際にミサイルが配備されていました。

ナイキミサイル。高い高度から侵入してくる機体を迎撃するために置かれたミサイルで、核弾頭を搭載することが可能でした。当時の新聞記事には、発射実験による被害と爆風の強さが記されています。

(当時の新聞記事)「キビ畑に火がつき、約200坪焼いた」「校舎の窓ガラスがゆれ、しかも爆音がひどい」

その後 発射実験の場所は残波岬へと移りますが、発射時の爆音は数キロ先まで響くほどでした。

仲村渠一俊さん「ゴンですよ、ゴンと上がっていって、一瞬で上までいって、煙は長く伸びて本体が落ちていくのが見えた。音はほんの2,3秒」