ところが同時期の西口は?
ところが同時期の西口はパッとしません。いえ、パッとしないどころか、ここは商業地でも何でもない、見渡す限りの「淀橋浄水場」だったからです。

新宿西口、降りて目の前は見渡す限りの「人工池」だったわけです。驚くのはその浄水場が1960年代までずっと浄水場のままであり続けていたこと。
新宿駅前の一等地は、ながらく閑散としたのどかな場所でした。
ちなみに有名な家電量販店「ヨドバシカメラ」のヨドバシとは西新宿のこのあたりの地名・淀橋(現在の西新宿五丁目、西新宿六丁目、西新宿二丁目と西新宿四丁目の一部)に由来しています。

新宿西口を縦に開発しよう
そのまとまった土地をビル群に変えようと考えられたのが1960年代のこと。「街を横に拡げても限界がある。これからは縦に伸ばそう」というのがコンセプトでした。
しかし、当初、手をあげる企業はほぼありませんでした。途方もない建設費用がかかる上、それがうまくいくという保証がなかったからです。
ところが、そこに「まずは我が社が世界一の高さのホテルを作ってみせる」と言う男が現れました。京王帝都電鉄の井上定雄社長(当時)です。その構想こそが「西新宿初の摩天楼」京王プラザホテルだったのです。

高さは179m、当時のホテルとしては世界一の高さを誇る建物でした。ホテルの最上階には展望台が設けられ、連日客が押し寄せます。その後、同じ地区に新宿住友ビルディング、新宿三井ビルなどが続々と建ち、70年代にして現在の摩天楼群に近い陣容を揃えたのです。
そこにあったのは3つの要因でした。
(1)高層ビルを建てるだけの技術的進歩があったこと
(2)手つかずの土地が都心に残っていたこと
(3)容積率の見直しなど、行政による規制緩和があったこと

90年代にはここに都庁新庁舎が加わり、外国人観光客も多数訪れる観光地となりました。
現在の東京は、西新宿以外にも高層ビルが矢継ぎ早に建つようになりましたが、その元祖は西新宿の浄水場にあったのです。
