断崖の上にアッパータウン 川岸にロウワータウン
ケベックはそのビーバーが生み出す富によって繁栄し、「北米のパリ」と呼ばれるようになった街です。街は、五大湖と大西洋を結ぶ大河・セントローレンス川に面した断崖に築かれ、断崖の上にはアッパータウン、下にはロウワータウンと名付けられた二つの地区があります。
川岸にあるロウワータウンには港があり、ここから船は川伝いに大西洋に出て、本国フランスへと大量のビーバーの毛皮を運んだのです。ロウワータウンには貿易商や職人が暮らし、北米最古の繁華街や石造りの教会も出来ました。
ケベックの公用語はフランス語なので、今もにぎわう繁華街を撮影すると、どの店の看板もみんなフランス語。カフェが連なる旧市街の街並みは、確かにパリのモンマルトル辺りを想わせます。
ロウワータウンとアッパータウンの高低差は最大で100メートル。階段やケーブルカーで行き来できます。
グレース・ケリーやエリザベス女王も宿泊したホテル
アッパータウンには行政機関や軍が置かれました。ケベックで一番目立つ大きな建造物は、アッパータウンのシャトーフロントナックという名前通りの城のようなホテルなのですが、かつてのフランス総督の公邸跡に建てられたもので、フロントナックというのも総督の名前からとっています。モナコ妃となったグレース・ケリーやエリザベス女王も泊まったという由緒あるホテルです。
このケベックの心臓部ともいうべきアッパータウンは、周囲をぐるりと分厚い城壁に囲まれています。当時のフランスは、北米の植民地支配をめぐってイギリスと争っていたため、この城壁はイギリス軍に備えて築かれたものでした。
しかし1759年、攻撃してきたイギリス軍に破れ、ケベックは陥落。この戦いののち、フランスは北米から撤退し、カナダはイギリスの支配する地となったのです。
ケベックの冬は厳しく、マイナス20度にもなる寒さでセントローレンス川は結氷します。

雪景色となったアッパータウンで名物なのが、ソリ遊び。シャトーフロントナック近くの高台をスタートにして、全長約250メートルもある臨時のコースが作られます。最高時速70キロにもなるソリ遊びは大人気。

ここで使われているのが「トボガン」という先端が半円に曲がっているソリで、元々はカナダの先住民が使っていたものです。それを入植したフランス人が運搬の手段として取り入れ、さらに冬の娯楽としたのです。
こうした先住民とフランス人との関係もビーバーから始まったものでした。捕獲方法をよく知る先住民が、捕まえたビーバーの毛皮をフランス人の所に持ち込み、銃などのヨーロッパの製品と交換する・・・そのために出来た交易所のひとつが、ケベックだったのです。
乱獲で激減 ビーバーのいま
しかし年間何十万頭という乱獲のため、北米のビーバーも激減。絶滅寸前にまで追い詰められます。19世紀になって、ビーバーの代わりにシルクをつかったシルクハットが主流となり、帽子の材料としての需要は減少します。さらに20世紀に入ると自然保護運動が盛んになり、保護する法律も出来たためビーバーは絶滅を免れました。現在では、北米に1000万頭以上生息すると言われます。
今やカナダにおける自然保護のシンボルとなり、コインにもデザインされているビーバー。もしもビーバーがカナダにいなかったら、「北米のパリ」と呼ばれる世界遺産・ケベック旧市街も誕生せず、カナダの歴史も現在とは全く違ったものになっていたかもしれないのです。
執筆者:TBSテレビ「世界遺産」プロデューサー 堤 慶太














