あえて考える藤井六冠の“隙”とは…「野性味」という視点
藤井六冠のタイトル戦などを眺めていて、私は「こんな戦い方をする者を見たことがある!」と強烈な既視感を覚えた。「現代ボクシングの最高傑作」と謳われるワシル・ロマチェンコである。35歳の彼は、精密機械を彷彿とさせるハイレベルな技術力のボクシングで、「ハイテク」の異名を受ける。なぜボクシングを連想したかというと、筆者が熱烈なボクシングファンだからなのだが、若い世代が、AIなどのテクノロジーを駆使して、プレイの精度を上げるというのは、ボクシング以外でもスポーツ界でも散見される。
しかし、そんな完璧な正確性を特徴とする彼らだからこそ、最大の弱点も持ち合わせているといえないだろうか?それは「野性味」だ。
人間にはまだ解明できていない、蓄積されえないデータ領域。分析能力を超えた身体能力や、解明されていない思考力によって生み出される、セオリーとは全く異なる戦術や棋譜。それらを支えるのはAIの特性とは全く異なる「野性」に違いない。特にスポーツの世界では、「技術」と「野性」の変遷というのは繰り返されてきたように思う。
ボクシングの例が続いて恐縮だが、単純なパワーに頼り切ったヘビー級をモハメド・アリが卓越した技術力で刷新し、ポストアリを破壊力に満ちたマイク・タイソンが切り開いてきた。圧倒的な野性味あふれるオフェンスは、技術に裏打ちされたディフェンスに、ウイルスに対する抗体が開発されるように駆逐されていき、やがては「防御」を新たな「攻撃」が超越していく。長いタイムスパンで見るとその繰り返しだ。

将棋界では、今しばらくは藤井聡太の時代が続くだろう。しかし、これからのトップ棋士にAI研究は常識となり、それを行いつつ、定石から大きく外れた野性味あふれる一手を投じる棋士が現れたらどうなるだろうか?
「感情」を持つ棋士たちの魅力 「野性」×「技術」が新時代の扉を開く!?

藤井六冠は、心理面のブレを出さず、通常、凪の海のように平静だ。しかし、私は、取材時に藤井聡太が初タイトルへの挑戦者決定戦で敗れた時に見せた、悔しさよりも自身への怒りが抑えきれない表情が印象深く残る。また、レジェンド羽生ですら、大一番の一手で指先の震えが止まらなかったことがある。
AIには伴わない人間の「揺れ」。感情や心理を持つからこそ、人間は不安定だし、メンタルが大きく行動に左右する。このことは、弱点にもなるし、強みにもなる。人間は、AIのように圧倒的な分析力や演算能力に支えられた技術のみによって成り立つのではなく、野性と掛け合わされ進化していくはずである。それこそが、これからの時代、藤井六冠のさらなる進化の可能性であるし、彼らに立ち向かっていく新たな時代の扉を開く道ではないだろうかと感じている。