事故当日の深夜、海上保安庁からの電話…間違い電話だと思い、出ませんでした。翌朝、再びかかってきた電話で、優さんが「KAZUⅠ」に乗っていたことを知りました。

斜里町B&G海洋センター体育館。深夜、案内された遺体安置所。
橳島優さんの母親(59)
「冷水があまりにも冷たいので(顔が)凍傷のような感じで赤黒くなっていて、想像していた変わり果てたどころではなくて、その顔が上書きできない、忘れられない」
事故が起きた4月23日は、優さんの父親の65歳の誕生日。退職後の趣味として楽しんで欲しいとドローンをプレゼントされましたが、
今も開けることができません。
橳島優さんの父親(65)
「まだ気持ちの整理ができていない、ぼーっとしていると息子が『ただいま』と言って帰ってくるような気がする、(息子に)お父さんって呼んでもらいたい」
事故後、運輸局の監査や、国の代行機関=日本小型船舶検査機構の検査に実効性がなかったことが浮かび上がりました。

橳島優さんの母親(59)
「誰からも謝罪がない、『一生懸命捜索はしました』、『できる限りのことはしました』と、国交省もJCI(日本小型船舶検査機構)も謝っていないし認めていないので前を向けない」