熊本地震から7年。皆さんのあの日の経験を伝えるシリーズ「私たちが知らない熊本地震」
入院患者を守るために奮闘した病院と余震が続く中で出産した母親の思いをお伝えします。
「とにかく安全な場所に…」患者の命に向き合った病院

あおば病院 宮本英七総院長「全く予想しなかったことが突然に起こった…この建物が倒壊するかもしれない」

宇城市にある精神科病院。7年前のあの日、倒壊の危険を感じながら173人の入院患者を避難させたと言います。

河野功 総務次長「とっさに私は目の前にある床頭台(しょうとうだい)のテーブルを引き出して、頭を隠しながら揺れが収まるまで待ちました」
前震の日、泊り勤務をしていた河野さんは揺れが収まったと同時に火災報知器が鳴り響く病院内の確認作業に走りました。

報知器の音は、スプリンクラーの破断に関連した誤作動で火事は発生していませんでしたが、3階の病棟は天井が落下しスプリンクラーからあふれ出る大量の水で川のようになっていたといいます。

河野さん「鉄骨造りなので倒れることはないだろうと思いながらも、もしかしたらというのもよぎったりして…初めて死を覚悟しました」

一変した院内の光景におののきながらも開かなくなったドアをこじ開け、濡れた患者を背負って外に避難させました。

しかし、避難後も続く余震と想像もしていなったという「本震」。憔悴する患者のケアに看護師たちは不眠不休で力を尽くしたといいます。

花園美佐子 看護部長「中には状態が悪くなってこのまま続けばちょっと危ないかなって…早く安全な場所にとにかく一旦は移さないといけないかなっていうそういう思いだった」

その後、災害派遣精神医療チーム=DPAT(ディーパット)などの支援を受け全患者を県内外の病院へ移送することができました。

源嶋(げじま)照幸 看護副部長「自分たちも何が起きているのかわからない状態なんですけれども、患者さんたちの恐怖を減らして少しでも安心できるよう心がける必要があるかなと思いました」

看護師の源嶋さんはその時感じたことを思いだけには留めず、DPATの資格を取得しました。災害時に被災者の心のケアに務めたいとしています。