「この家族がなければ今の幸せはない」

ユリアさん一家は現在、モルドバ・ギンデシュティ近郊のシュテファネシュティの避難所に移っている。
もともとは大学の寮として使われていた施設だ。暖房設備が整っているため、厳しい冬を越すためには適している。
ウクライナから避難した複数の世帯が暮らしていて、7人家族のユリアさん一家には3つの部屋が与えられた。
それぞれ手狭な部屋だが、家族は肩を寄せ合って暮らしている。食事や生活用品のほとんどが支援物資。
ウクライナで結婚式を挙げた後、モルドバに戻ったユリアさんのお腹には新たな命が宿っていた。
里親のリアシェンコ夫妻は喜びを隠さないが、ユリアさんは少し想定外だったようだ。「びっくりして、まだ実感が沸きません」と話す。
それでも「男の子でも女の子でもいいから、元気な子どもが生まれてくれさえすればいいです」と自身のお腹をさすっていた。

わずか11歳の時に「両親を連れ去られたのは自分のせいだ」と責め続け、自傷行為を繰り返していたユリアさん。今、妻となり、母親にもなろうとしている。
9年前、家族として迎え入れてくれたリアシェンコ一家への感謝の思いは格別だ。
「この家の里子になるまでは私たち3姉妹は別々の施設に預けられていました。あの時、バラバラになっていたら、私は今でも妹たちを必死に探し続けていたでしょう」
「今の両親と2人の弟が私たちを家族として温かく迎えてくれました。この家族がなければ違う人生だったと思います。今のような幸せな生活は送れていませんでした」。そう話すユリアさんの目は潤んでいた。

私は3日間にわたってリアシェンコ一家を取材した。子どもたちが起きる前の早朝から夕方まで長時間お邪魔させてもらった日もある。
故郷を追われ、先の見えない厳しい生活が続いているにもかかわらず、家族全員が終始、穏やかな表情をしているのが印象的だった。一家団欒の食事の場では笑顔が絶えない。この家族には揺るぎない信頼感が満ち溢れていた。
「世の中にはこんなにも美しい人たち、美しい家族がいるのか」。一家を取材して、私は何度もそう思わされた。愚かな戦争を起こすのは人間だ。だが、戦災で傷ついた人を癒すことができるのもまた人間である。戦争を一日も早く終わらせる努力を尽くすとともに、私たち一人ひとりがウクライナ侵攻で現在も起きていることに目を背けず、息の長い支援を続けることが必要だ。