太田愛花さん
「友達を大切にする気持ちとか家族を大切にする気持ちとか。そういう当たり前のことを大切にして、楽しく過ごしていってほしいなって思います」
太田さんは、小学校の同級生だった親友を震災で失った。
「すごい明るくて活発で。でもお姉ちゃんだから大人っぽいところもあって、すごく優しい子でした」

自宅を流された太田さん。唯一見つかったカバンの中に、親友と交換したシールが貼られた手帳が入っていた。
「津波で流されたシール手帳です。匂い付きのシールで、(親友と)交換してもらって」
「少しだけ、本当に少しだけ(匂いが)あります。10年前は匂いはあったんですけど、今はもう薄れていて…」
親友には、同じく津波で亡くなった妹がいた。その世話が楽しかったから、保育士になった。
守れなかった9人の園児

12年前、おおつちこども園=旧・大槌保育園にも津波が押し寄せた。
園は、園児約110人を150メートル離れたコンビニエンスストアの駐車場に避難させた。そこで園児約70人を、保護者に引き渡した。
その直後…
ホランキャスター
「ローソンにいるところで津波がやってきたっていうことに?」
震災当時に2歳児担当 道又真美子さん
「ローソンのところで園長先生が…遠くを見たら、電信柱がパタンパタンって倒れてくる様子を見て」
保育士たちは残りの園児を抱きかかえ、さらに高台へ避難した。
しかしその後、悲しい現実を突き付けられることになる。
保護者に引き渡した70人のうち9人が、津波の犠牲になっていたのだ。
「おおつちこども園」の園長、八木澤弓美子さんは震災当時、副園長だった。
守れなかった9人への想いは、今も消えることはない。
八木澤弓美子 園長
「直後は本当に、もうこの仕事はできない(と思った)。先生たちに、いのちを守るんだよっていう、ちょっとかっこいいこと言ってきた自分が守れなかった悔しさっていうのは、12年たってもなくなっていない」
次の世代へ引き継がれる“思い”

拭えない後悔。それでも、先の見えない避難生活を送る園児たちがいる。
震災の翌月には、泥をかき出し、1か月遅れの卒園式を行った。その卒園式を、鮮明に覚えている人がいる。

髙清水倖奈さん(18)。大槌保育園の卒園生だ。
ーー卒園式のことを覚えていますか?
髙清水さん
「覚えています。(卒園証書)もらう時、緊張しました」

震災当時は6歳だった。避難生活の中で、卒園式は数少ない嬉しい思い出。
髙清水さん
「保育園のホールがもう泥まみれになっていて、床はブルーシートで。卒園証書ももらったりして、とても嬉しかったです」
あれから12年、高校3年生になった髙清水さん。卒業を前にお世話になった人を招く会で、園長に手紙を渡した。
その映像が残っている。手紙には、髙清水さんの夢が書かれていた。

「ゆみこ先生のような保育者になれるように春から頑張っていきます」
髙清水さん
「私が理想としてるのは、子どもたち1人1人に向き合って、子どもからも親からも信頼される保育士になりたいなって思ってるんです」
「子どもたちが伸び伸びと成長できるような環境を作っていける保育士になりたいなって思っています」
園長の思いが、次の世代に繋がっていく。