震災当時は5歳 17歳高校生の語り部の思い

震災遺構として保存される気仙沼向洋高校の旧校舎。佳桜さんは、ここで震災の教訓を伝える“語り部”として活動しています。

岩槻佳桜さん
「こちらが流されてきた車です」

山本恵里伽キャスター
「車、ここ3階ですよね」

岩槻佳桜さん
「私たちがいま立っている足もとで8メートル」

山本恵里伽キャスター
「壮絶ですね。このまま残ってるって…」

中学2年から語り部をしている佳桜さん。震災を伝えるうえで“大切にしていること”があるといいます。

岩槻佳桜さん
「自分が見たものを話したいなと思っているので、自分の言葉で伝えるようにしています」

一方、こんな悩みも打ち明けてくれました。

岩槻佳桜さん
「同じことを話さなきゃいけないので、なんかマンネリ化してるのかなって自分で怖くなってて」

山本恵里伽キャスター
「実際に接した人とのエピソードを新たに入れていくとか、組み込んでいったらきっとまた新鮮な気持ちでお話できる」

12年前の2011年3月11日。佳桜さんは当時5歳でした。気仙沼の町を襲った“黒い津波”。佳桜さんも避難中、目撃していました。

岩槻佳桜さん
「ぱっと振り返ったらもうサワサワサワって坂から上ってきてた“黒いもの”が。もう1回振り返ったら、さっきまでいた小学校の校庭が真っ黒になってて…」

津波から無事、逃げることができた佳桜さん。その日は車の中で過ごすことになったそうです。夜、停電であたりは真っ暗でした。ただ、ふと空を見上げると…

岩槻佳桜さん
「車の中で星を見ました。ピュアな記憶というか綺麗だったんです。とにかく綺麗だった」

5歳の佳桜さんにとっては綺麗な星空でしたが、一方で…

岩槻佳桜さん
「宮城県内に住むお客さんが来てくれたときに、『あの星は絶望だったね』って言われて、同じものを見ていても全然違う感情があるんだなと」

そこで、あることを思いつきます。みんなに“3.11の記憶を紙1枚で表現”してもらおうという取り組みです。

岩槻佳桜さん
「この方はいっぱい折ってもらった」

山本恵里伽キャスター
「ちょっと波っぽい」

岩槻佳桜さん
「津波を見たって言っていた方で津波の波を連想させるような形と…」

これは“心にあいてしまった穴”。被災した人が作ったそうです。当時、東京にいた人は…

岩槻佳桜さん
「実はこれは“テレビのL字バー”なんです。実家が東北の方でどうなっているんだろうっていうのでずっとテレビの前に立ってこれを見てたって」

紙で表現する、それぞれの“あの日のこと”…。手を動かし、自らの記憶を振り返ることで、風化の防止にもつながるといいます。