そのまま、数百メートルにわたって津波に流された。
ゆるやかなカーブにさしかかったところで車は道を外れ、草木が生い茂る斜面に乗り上げた。宮世さんは母と一緒に車から脱出、斜面を必死に上り、高台に逃れたという。

宮世さん「津波から逃れた後、車や、人が流されていくような光景も目にしました。あとになって、自分だけが助かって良かったのかなという気持ちも抱きました。今回、現地に戻ってきて感じたのは、自分のいのちが助かったのも色んな偶然が重なったことなんだということです。もし違う場所にいたら、少しでも何かが違っていたら、自分のいのちもなくなっていたかもしれないって」

「絶望、これは嘘だって自分の中で信じ込ませるようにしていました」

震災で、宮世さんの家族は全員無事だったが自宅は全壊となった。幼い頃から一緒だった愛犬の“マロ”も津波に飲まれ、死んでしまった。

宮世さん「マロは家族のような、僕にとって兄弟のような存在でした。最後まで一緒にいてあげられなかったこと、ずっと悔しい思いでした。ただ不思議だったのは家もほとんど全部流されて何も無くなっているのに、マロだけは自宅のすぐそばで見つかったんです。家族を、マロが守ってくれたんじゃないかって思っています」

さらに、同い年でとても仲の良かった、はとこを亡くした。

宮世さんもう絶望、でした。ずっとそばにいた人が亡くなったっていうことが、信じられなくて…母から聞いて、これは嘘だって自分の中で信じ込ませるようにしていました

震災後、宮世さんは転校を余儀なくされた。県内の別の場所に引っ越したため、それ以来、当時暮らしていた地元を訪れる機会はほとんどなかったという。当時の辛い記憶から逃げたい、という思いもあったという。

震災から4年がたった2015年3月。宮世さんに転機が訪れる。
家族で宮城県女川町で開かれた「復興祭」を訪れた。そしてアイドルグループ「ももいろクローバーZ」のパフォーマンスを見て、周囲の人たちが笑顔になっていくのを感じた。

“自分も周りの人たちを笑顔にしたい”。そんな思いから芸能界に入った。

宮世さん「“宮世”っていう苗字は芸名で、ファンの方から募集して、つけてもらった名前です。“宮城から世界へ”という意味が込められているんです。僕の思いにすごくぴったりだなと思います。宮世という名前が似合うような大人になっていきたいなって」