ロシアによるウクライナ侵攻から24日で1年になります。

こうした中、戦禍を避けて、日本に逃れてきた男性がいます。79歳になる降籏英捷(ふりはた・ひでかつ)さんです。
父と母は現在の長野県安曇野市の出身で、太平洋戦争のあと、現在はロシア領になっているサハリンに取り残されました。
その後、妻の故郷・ウクライナへ移住しましたが、1年前、軍事侵攻が起きました。
戦争がもたらすものとは何か…。2度の戦争に巻き込まれた経験と平和への願いです。


2022年3月、ウクライナから避難してきた男性がいます。
降籏英捷(ふりはた・ひでかつ)さん。
隣にいるのは、塩尻市で生まれ、ふだんは北海道で暮らす兄の信捷(のぶかつ)さんです。

幼いころ話していた日本語は、忘れてしまいました。
降籏さんの父・利勝(としかつ)さんと母・ようさんは現在の安曇野市の出身。

灯台守をしていた父の仕事のため、太平洋戦争中、日本領だった樺太=現在のサハリンに家族で渡りました。
しかし、戦後の混乱と東西冷戦の中で、一家は現地に取り残されます。

きょうだいたちは、半世紀以上を経て日本に永住帰国を果たしましたが、降籏さんは、ウクライナ出身の妻の故郷へ移住し、子や孫と幸せな生活を送っていました。
しかし…2022年の2月24日、ロシアによる軍事侵攻が勃発。
降籏さんは、孫やひ孫を連れて、親族がいる日本に避難することを決めたのです。
「1000発以上のミサイルが飛んできて、多くの飛行場が爆撃されました」
避難した先は、きょうだいが暮らす北海道。
降籏さんは帰国してまもなく、孫やひ孫を連れて、ある場所を訪れました。

「両親が戦後すぐに日本に帰って、長野県に住んでいたら私の人生は違っていたでしょう」