9歳のヌートバー少年が語った「侍ジャパン」への憧れ
侍ジャパンにまで上り詰めたヌートバー選手。野球との出会いは少年時代に遡ります。
そこで大きな転機があったといいます。
夏の甲子園で田中将大投手(現・楽天)と斎藤佑樹さん(元・日本ハム)が決勝で投げ合った2006年、高校日本代表としてアメリカに渡った選手たちに混ざり、バットボーイやボール拾いをしていたのが9歳のヌートバー少年だったのです。そのとき選手たちと一緒に過ごした時間がとても楽しかったようで、ある気持ちが芽生えたのです。

少年時代のヌートバー選手
「こんにちは!背番号21のラーズ・ヌートバー、日本人です。いつか僕の母国、日本を代表して戦いたいです」
「僕も日本代表としてグラウンドに立ちたい」その思いは17年の時を経て、ついに夢が叶うのです。
ヌートバー選手 喜びの代表入り!

侍ジャパン・栗山監督(代表選手の発表会見)
「セントルイス・カージナルス、ラーズ・ヌートバー 背番号23」
メジャー2年目の2022年シーズンは、14本塁打、40打点。守備では外野の全てのポジションを守るなど、チームに貢献。それが評価され、侍ジャパンでは守備の要として期待されているのです。
母・久美子さん
「電話鳴ると必ずFaceTimeで『侍ジャパン来るよ!侍ジャパンお腹空いてるから用意しといてね』、何でも侍ジャパンだ!侍ジャパンだ!って。何でいちいちそういうところで使うのかなって」
母・久美子さんの手料理で培われた強靱な体

高校時代まで野球とアメリカンフットボールを両立していたヌートバー選手。その強靭な肉体の源となったのは久美子さんの手料理です。
母・久美子さん
「昨日は餃子やりましたよ、好きなので。自分で作ると大きく作れるからそれこそ3倍ぐらいお肉が入れられるんですよ。ジャンボ餃子でがっつり食べてって感じですね」
さらに母心でしょうか。キャンプに出発する息子を少しでもかっこよく見せるために、家で髪の毛を切ってあげていました。