戦後に知った同級生たちの死

戦後ほどなくして北九州市へ移り住んだユリ子さんは、原爆投下から8年後に発行された長崎女子商業学校の同窓会名簿で、多くの同級生が原爆で亡くなったことを知ります。

「もうみんな亡くなっちゃったしね……ほんと辛かった」

戦争を生き延びたことへの思いは、その後も消えることはありませんでした。

「生き残っていいのだろうか」

住吉アナウンサーは祖母に尋ねました。

「生き残ったことはうれしかった? それとも……」

ユリ子さんは少し考え、静かに答えます。

「申し訳ないっていうか。本当に私だけこんなに生き残っていいだろうかって思う気持ちでね」

ユリ子さんは、81年間、生き残ったことへの負い目を抱え続けてきました。