「収容はフリーハンドではない」と主張を認めるも…
裁判の主な争点は3つあった。
(1)日本の入管収容制度・入管法が「自由権規約」(恣意的拘禁を禁止する、収容が適法かどうかの「司法審査」を裁判所で受ける権利を保障する)に違反するか
(2)2人の原告に対する収容が上記の規定に違反するか
(3)収容が違法とされた場合、国は賠償責任を負うか
2025年6月の東京地裁判決(本多智子裁判長)は、原告2人の収容の一部について違法と認め損害賠償を命じた。しかし、入管収容と入管法自体が国際法違反という訴えは退けた。
まず争点(1)について。
「自由権規約」が禁止する「恣意的拘禁」にあたるかどうかを判断する際には、「収容が正当な目的に基づく」(合理性)、「その目的を達成するには、収容が必要で、より負担の少ない他の措置では達成し得ない」(必要性)、「目的を達成する必要性が、個人の自由を剥奪する収容という措置の重大性を上回る(筆者注・目的に比べて、収容することが過剰な手段となってはならない)」(比例性)という3つの要件を考慮しなければならず、どれか一つでも欠けていれば「直ちに仮放免し、身柄を釈放すべき」という基準を初めて示した。
これは原告弁護団の「収容は入管のフリーハンドではない」という主張を認めたものだ。
しかし、入管収容制度と入管法自体は「自由権規約」に違反していないと判断した。
入管法は、退去強制令書の発付を受けた人は原則として収容される「原則収容主義」を採用しているが、「入管法の規定は全体として、退去強制手続きにおける収容が、個別具体的事情に照らし、送還のための出頭の確保と違法な在留活動の禁止という目的を達成するために必要な限度で、かつ、その目的を達成することが収容される人の不利益を上回る場合に限って収容している」と述べて、入管法は収容にあたって合理性、必要性、比例性の3つの要件を満たすことを要請しているので「自由権規約」には違反しないとした。
また、収容が適法かどうかの「司法審査」を裁判所で受ける権利の保障については、「行政訴訟法で仮放免許可を義務付ける訴えを起こすことによって、身柄の釈放を求めることができるから、裁判所の判断を受ける権利は保障されている」として、こちらも「自由権規約」には違反しないと判断した。

















