実に1分半超。慰霊碑の前で、両陛下は頭を下げ続けられた。オランダ軍楽隊による鎮魂の演奏の中、おふたりは目を閉じて身じろぎひとつしない。アムステルダムの広場に詰めかけた国民が様子をじっと見つめた。私もその姿を見たひとりだ。令和初のオランダ訪問、「天皇が加害の過去に向き合う」という点ではどんな意味を持ったのだろう。現地取材を通して見えたのは、昭和~平成とは異なる空気感。そして“受け継ぐ”ことへの思いだ。
現地はうだるような暑さだった。連日「記録更新」が報じられる今夏のヨーロッパだが、熱波の影響はオランダ・ベルギーも同様だ。発表された気温は35℃にいかないくらいだったが、強い日差しやスーツ着用もあり、体感はそれを優に超えていた。クーラーがない建物も多く、私は行事間の待ち時間に熱中症気味になったこともあった。両陛下をはじめ、随員や記者団も厳しい気候の中で過ごした2週間だった。
「苦しみは今も」昭和天皇は車にビン投げつけられ
歴史を振り返る。1942年、日本軍はオランダ領だったインドネシアを占領。オランダ政府によると、軍人約4万人が捕虜となり、一般国民約9万人も強制収容された。環境は劣悪で、栄養失調を訴える人が相次いだ。日本軍による収容者への虐待も後に明らかになった。11歳のころ家族と引き離され少年収容所で過ごした男性は、当時をこう振り返る。

トン・ステファンさん(93) 日本軍により強制収容
「(※日本語で)一、二、三、四、五。気をつけ!敬礼!直れ!こうした命令を覚えさせられました。いまだに日本語が頭に残っています」
「収容者は棒で殴られました。与えられる食事はごくわずか。子どもも含めて人が毎日死にました。栄養失調で病気になってしまうのです」
「そして、天皇を敬うよう強制されたことも忘れません。”天皇のシンボル”とされた日本国旗や日本兵に対しては、頭を下げるのが絶対でした。私たちの苦しみは今も続いています」
同様に、命からがらオランダに帰国した元捕虜・収容者の多くは、心にトラウマを抱えたまま生き続けた。

終戦後もオランダでは反日感情が絶えず、軍の最高司令官だった天皇に対する反感はとりわけ強かった。1971年、昭和天皇が初めてオランダを訪問した際には、現地で激しい抗議活動が起きた。各地で日本国旗が燃やされたほか、天皇が乗る車の窓にビンが投げつけられる事態に発展したのだ。















