凡人小事か変人珍事か
僕は鹿児島生まれで満州育ちなもんですから、文化大革命が終わって、ある人に呼ばれて中国の各地、最初は北京・上海でしたけど、回ったんですね。吉田直哉さんとか、志賀信夫さん(1929〜2012)、ABCの山内さん、千葉県の知事になった堂本さん(1932〜)とかとご一緒でした。
その時に向こうは、もうハンディカメラでオールロケでドラマ撮ってるわけですよ。ですから、これはもう映画と全く違わないと。作り方から脚本から。題材も、朝鮮戦争に出征した中国戦士の話とか、何とか賞をもらった人の奥さんの話とか、さっき言った、優れた人や目立つ人、特異な人を描くのがテレビドラマだと思っていて、そればっかり作ってるわけですよ。いや、そこは映画とテレビは違うんだって、僕は一生懸命、向こうの人に説明してたんです、2年ぐらい。
それから5、6年たって、中国ってのは意外に理論派が多くてですね、ロシア映画の論法とか全部知ってるんです。それに対して、チャイエフスキーの、さっき言ったような、映画ってのはこっちから出掛けて見る。まあ、晴れ着みたいなもの。一方テレビは帰って日常の中で見る。見る場所も時間も日常の中。サイズも小さくて、大画面の迫力で訴える力もない。だからやっぱり、クローズアップに近いサイズで人間の心理に深く入った方がいいんだよ、と言ったんです。
その為には大げさな人物の話よか、そんじょそこらにいる人の話。隣のお姉ちゃん、何故中々お嫁に行かないんだろうとか、肉屋のご主人は、どうしていつも日曜日に出掛けるんだろうとか、そういうのを追っかける方がいいんだって話した記憶があるんです。
それからさらに5、6年たって、そうすると向こうでは、テレビドラマの理論書っていうのを作ってましてね、それが「大山センション」っていうんです。「センション」は「先生」っていうことなんだ。「テレビドラマの本質ここにありっていうのを、発見しました」と。で、見たら、なるほど、それは「凡人小事」だと。「平凡」の「凡」。ちっちゃいことの「小事」で「凡人小事」。向こうで何と発音するか分からんけど「これですね」って。「そう!そうなんだよ、凡人小事っていうのは、うまいこと言うね、君たちは」って。
普通の、凡人の、ちっちゃなことがテレビドラマなんだって。「そうなんだ、これがやっぱり映画でもない、舞台でもない、テレビがやるべきことなんだよ」って握手した記憶があるんです。だから、「ふぞろいの林檎たち」※ は、まさに、そこから発想したんですね。
※ 「ふぞろいの林檎たち」原作・脚本:山田太一。パート1は1983年5月~7月、以降パート4まで放送される。
とにかく、今まで日の当たらなかった、いわゆる三流、四流の大学生を描く。人が振り返らない人たち。その人たちを見つめようと。山田(太一)さんは基本的にそういうことをずっとやってらっしゃった。それが、僕たちの先輩を含めて、テレビドラマを作ってきた歴史の中で、70年代から80年代にかけて、そういう考え方が花開いた時期があったんだと思うんです。
従来のドラマは「未知を既知にする」ものでした。つまり知らないものに対して「ああ、こういうことか」って知るということです。一方で、この時期に考えられていたテレビドラマは「既知を未知にする」。つまり、分かってると思っていた、こんなの知ってらい、知ってるよと思ってた世界、すでに既知、すでに知ってる世界が未知に見えてくる。「ああ、こんなことだったのか」って。もう、向田さんなんか、まさにそうだと思うんです。
久野 うーん。
大山 何でもなく思ってた、日常のちょっとした会話なり、行動なり。つまり、トイレに入ろうとすると、女の子が出てきて「すぐ入っちゃ嫌」と言うといったこと※ とかね、それがハッと、新鮮ないい表現になってくるわけです。そういう既知を未知にするのが、テレビドラマの一つの表現の世界だと思っていたんです。
※ 向田邦子は匂いや触覚を大事にした人だった(大山)。
ただ、80年代の後半、90年代からですね、ザッピングというテレビの見方、VTRの普及、それからテレビゲームが入ってきますよね。我々の時代、テレビはオンタイムで見るという意識があったし、テレビ画面はテレビだけのものと思ってたんだけど、全く違うテレビゲームが入ってきたり、それこそ何でも出てきますよね。※
※ 1970年代はじめ、サンヨーが超音波利用のテレビ用リモコンを発売。1975年、ソニーがベータマックス方式の初の家庭用VTR発売。1976年ビクターがVHS方式発売。以後世界に普及。1978年、インベーダーゲーム(ビデオゲーム)大流行。以後テレビゲームが普及。
テレビドラマも、オンタイムで同時進行で見るんじゃなく、VTRに撮って後で見る。そうすると、レンタルビデオ屋に行くといっぱい外国映画もある。だからもう「凡人小事」っていうのは一種の王道に近い本質だと思うんですけど、そっから、もうずいぶん外れてきてましてね。
「変人珍事」って言ってんだけど、つまり変わった人の話。最初に戻ったわけだ。世にも不思議な、あるいは美人の話、すぐれた顔形を持つ人たちの恋愛だとか、凡人小事じゃない変人珍事に近い方に、だんだんスライドしていってる。
日本の社会そのものが激しいテンポで動いてるし、さっきも言ったようにブラウン管の中に出てくる出来事も、どんどん飛び跳ねてるし、とにかく変わったもの、珍しいもの、新しいものをどんどん見せてますね。そして、その流れに追いつこうという形で、テレビドラマも変わってきてるという気がします。サスペンスものの隆盛もそういうことだと思うんです。














