放送界の先人たちのインタビューが「放送人の会」によって残されている。その中から、「岸辺のアルバム」「ふぞろいの林檎たち」など多くの名作を生みだしたドラマプロデューサー、演出家の大山勝美氏のインタビューをお届けする。聞き手は、放送人の会会員でRKB毎日放送出身のドラマ演出家、久野浩平氏(故人)。
ラジオ局のテレビ部門に入社
大山 私は早稲田の法学部を昭和32年に卒業するんですが、その当時、ラジオ局であるラジオ東京にテレビがくっついている「ラジオ東京テレビ」って名前の、今のTBSがあったんです。
久野 それはラジオ東京を受けたんですか。それともテレビとして別に受けたんですか。
大山 テレビ要員として受けました。当時はラジオが全盛でしたから、ラジオ東京テレビにはラジオ組がいるわけです。そこに、われわれ新卒の他に映画や演劇という、先行するドラマ関係のジャンルから人たちが集まってきていました。
当時は映画もラジオドラマも全盛で、すばらしい名作がたくさん出ていました。ですから、ラジオからテレビに来た人は、何かわけの分からない電気紙芝居の世界に飛ばされたっていう意識があって、泣いて抗議したとかね。
演劇や映画の人は、その世界ではもう一つ芽が出なかったので、新天地で頑張ろうという人。今思うと外れ者だったり、それまでいたジャンルを見限って新しいジャンルに飛び込もうとしているような、結構個性豊かな人たちで。サラリーマンじゃないわけです。
久野 浪人を集めたみたいな。
大山 おっしゃるとおり。戦国時代の浪人を集めた野武士みたいな集団でね、ものすごい活気がありました。
当時は、野球中継やプロレスを放送する「スポーツの日テレ」と「総合のNHK」という感じでした。そこで、ラジオ東京(TBS)がテレビをスタートさせるに当たっては、ドラマを局の特徴にしようと考えて、お店でいえば開店資金ですよね。その大半を使ったんです。
当時のテレビは、ミスはそのまま出るし、白くぼうっとぼやけて映りは悪いし。しかも映画界はもちろん非協力。五社協定というのがあって、映画俳優は出られないんです。そこで、歌舞伎や新派、新国劇の俳優さんに、専属契約みたいな形でテレビに出てもらえないかと持ちかけました。
彼らが出れば、こういう立派な演技者が出るということで、局のステータスも上がるし特徴にもなるんで、専属契約料を渡したんです。それで「東芝日曜劇場」※ という時間帯を作って、そういう人たちに、どんどんそこに出てもらうようにしたんですね。
※ 東芝一社提供の単発ドラマ枠、1956年12月~1993年3月までつづいた。93年4月からは連続ドラマ枠になる。東芝一社提供ではなくなったが、現在も日曜21時のドラマ放送枠として存続している。
昭和31年に、「もはや戦後ではない」という経済白書が出るんですが、ちょうどその頃、石原慎太郎が「太陽の季節」※で出てきました。さらにそこから太陽族とかが出てきて。
※ 「太陽の季節」(1955年) 石原慎太郎(1932〜2022)著
つまり戦争が終わって、戦前型の価値体系が少し壊れて、若い人たちがいろんな分野で発言し、表現していこうという時代にちょうどぶち当たったんです。そこで我々も、テレビという新しい、やってみると面白いこのメディアで、何か若者らしい表現、従来の演劇とも映画とも違う独自の表現方法があるんじゃないかと考えたんです。そういった意味でいろんな、先行している映画とか演劇の演出法なり表現法を勉強したことは事実ですね。














