テレビ初期は文芸モノが主流
大山 それで昭和37年に視聴率表というものが出来てくるんです。毎日毎日発行される。それまで視聴率なんてなかったですから。
久野 電話調査※だけでしたからね。
※ 電通による。NHKは別途独自調査。
大山 なので、テレビに対する評価っていうのは、率ではなく、見た人の本当に内容的な評価だったんです。だから、数字がどうこうってあんまり気にしなくてね。面白い内容、刺激的な内容を作れば、ちゃんと届くという思いで作ってましたね。
久野 最初のうちはどうしても、テレビっていう新しい(高価な)機械が普及していくわけで、まあ、お金持ち、どっちかっつうとインテリの方からっていう感じでしたけどね、当時は。
大山 そうですね。ですから文化人たちが、興味を示しているのではと思ったんです。そこでNHKで和田勉さん※が、安部公房※の作品を手がけたり。
※ 和田勉 (1930〜2011)、安部公房(1924〜1993)
僕は寺山修司(1935〜1983)とか、大江健三郎(1935〜2023)の作品をやったりね。そういう意味では文化人、文学者がテレビという新しい表現媒体に強い興味を示してくれました。
今考えれば、よくそんなことが出来たなって思います。三島由紀夫さんの「鏡子の家」※ を、私がドラマ化するんですけど、そういう文芸ものの企画が通ってたんです。つまり昭和30年代には、それをちゃんと受け止めるお客がいたっていうことなんです。
※ 1962年7月4日~8月29日、水曜22時~22時30分放送。原作:三島由紀夫、脚本:田村孟・山田正弘、演出:大山勝美、出演:岸田今日子、杉浦直樹、山﨑努ほか。
久野 僕は「鏡子の家」を見て非常に感心しました。
大山 あの作品は、キャメラアングルとか、明かりなどの表現方法にものすごく凝りました。
原作は、三島さんの戦後の精神性をアピールする、メッセージ性の強い小説でしてね。若者4人が、鏡子という女性の家に集まる。サラリーマンだったり俳優だったり、ボクサーだったり。彼らはそれぞれ、日本再建の中で活躍するけれど、結局は滅びの道を歩んでいく。まあ、ご自身の生涯の結末を暗示するような最後なんです。ある種の社会的な広がりのある作品で、田村孟さんが書いてくれた脚本が非常に刺激的ないいもので、三島さんも喜んでくれました。
久野 この時期の、大山さんは…
大山 映像派でしたね。だからさっき言ったように、妙ちくりんな映像を意識的に作ろうとしていました。日常性から外れて、日常性をぶち破ろうと、若者らしい驕りと高ぶりで、何かこう新しい表現を、常に実験をということで映像に凝ってたことは事実ですね。だから、一部の評論家から「機械を扱って、人間をおもちゃにしてる」っていう批評を受けたりもしました。














