テレビドラマは社会性か娯楽性か
大山 37年に、「視聴率(の計測)が始まった」って言いましたけど、NHKの大河が38年に始まるんです。その頃から映画はだんだん調子が悪くなって、一方テレビは、受像機が増えて、昭和37年に1,000万台になり、そこからもうあっという間に1,500万台に増えていく。そこで、大衆にアピールする、楽しんでもらう大型エンターテインメントということで、大河※ が出てくるわけです。
※ 大河ドラマ第一作「花の生涯」、1963年4月7日~12月29日放送。
久野 映画は、何と言っても娯楽作品で商売してるわけで。もちろんテレビだって、商売っちゃ商売なんですけれども。あの時期は、商売よりやっぱり内容という感じで。
大山 そうですね。新しい表現の道具が出来たと。やっぱり若い人の力で新しい領域を開拓しなきゃいかんぞというふうに、自分にも言い聞かせてましたね。
久野 その意味で、映画には出来ないものを放送出来たわけですね、
大山 そうです。「私は貝になりたい」(1958)以降、アクチュアリティーという言葉が妙にはやりました。今でいう現実主義ですね。映画にくらべて、もっと現実に起こった事件、起こりつつある事件、あるいは、人物がもたらした一つの効果、そういうものを取り上げるべきだと。もっとジャーナリスティックじゃなきゃいけないと、僕たちも思い始めていくようになったんです。
映画は娯楽だけれど、テレビは社会性を持ったもので、その時々に起こってくる事件や、現実、われわれ生きている人間を取り囲む状況に対して問題を発見して、それを告発していくっていうのはオーバーだけど。
それまでの初期のテレビドラマは、映画の3分の1ぐらいの長さで、舞台の一幕ものを膨らましたり、そっちの方を一生懸命追いかけていた。
それが、ある時期から「テレビ的であること」の方を重視して、テレビというジャーナリスティックなものの中にドラマも入ってくるんだと考えるようになった。ドラマ部分に力点があったものが、テレビという方に力点が変わっていった。全体としては、そういう流れだった気がしますね。
ただそれも、大衆化時代になって、受像機の台数は1,000万台を超し、カラーにもなってくる※ 、高度成長期になってくる。そういう流れで昭和40年代になると、娯楽を求められるようになる。スポンサーもそれを求める。となればやはり、大勢の人が喜んで見るものが良いんだという方向に移っていきましたけどもね。
※1964年10月、東京オリンピック開催(一部カラー放送)。1965年頃から、カラー番組が増えはじめる。NHKの場合、連続テレビ小説がカラーになったのは1968年「あしたこそ」から。大河ドラマは1969年「天と地と」から。
でも全体としては、テレビというのは社会性の強いメディアだということが出発点だと。もちろん娯楽でもあるけれど、というような意識が若い人たちを中心にあって、それが大衆化の時代にすり替わっていくのが大きな流れじゃないでしょうかね。














