“第2の人生”を考える

着実にスケートの実力を付けていき2010年バンクーバー五輪スピードスケート女子団体パシュートで銀メダル、日本女子スピードスケート界初のメダルを獲得。2018年の平昌五輪スピードスケート女子500mで日本人女子史上初の金メダルを手にした。順風満帆に見える競技人生だったが小平さんはスケートではない人生も頭の片隅にあった。

笑顔で語る小平奈緒さん

小平さん:
私は大学時代からスケートが終わった後の人生のことを少し考えていて。
スケート一本というよりは、こういうこともやってみたいな、ああいうこともやってみたいなっていうことは自分の中に温めていたので、スポーツ一筋というよりは違った視野も少しは持てていたのかなという風に思います。

高橋キャスター:
大学をちょうど卒業するくらいですか?入るころから思っていた?

小平さん:
大学に行くって決めた時点(2005年4月に信州大学進学)で学校の先生になりたいっていう夢も同時に追いかけていました。
スポーツの世界で戦える選手になるっていうことと、もう一つ学校の先生になるっていう夢を二つ追いかけていたので、そういった点ではスポーツ一本にならなかったっていうところでは今、次のステージに移行しやすかったのかなと思っています。

高橋キャスター:
大学に入った頃ってかなり前ですよね。

小平さん:
スポーツ一本の人生を逆にイメージできなくて、スポーツやめてからの方が人生は長いっていう風にいろんな方から教えていただいて、違う立場の自分をイメージすることで、客観的に自分を見られているのかなと。
唯一無二の自己表現っていうところで、決してメダルだったり結果だったり速さだけに捉われずに、悪いときにどういう風に自分が脱出したのかとか、色々な試行錯誤ができたのかなっていうのも自分の中では大きいことになりますよね。

高橋キャスター:
来年1月から母校・信州大学の特任教授が始まるということで…

小平さん:
いいチャンスをいただいたなって思っています。不安もあるんですけど私にとってはこれから自分がつくりたい空間の中で自己表現するための機会、経験値を高めるチャンスだと。
心の持ち方とかに自分の彩を加えて、学生たちと学びを育てていけたらいいのかなと。誰か一人でも、お前無理だよっていう風に言っちゃったら、その子はもうダメになっちゃうと思うんですよ。将来何かに悩む子どもたちがいたら、あまり強く背中を押すのではなくて、寄り添う形で、一緒にその子の立ち上がる力を信じてあげるような、そんな存在でいられたらいいなって思います。
人間って弱い姿を見せるのが後ろめたかったりすると思うんですけど、弱い姿さえもありのままの自分として受け入れることで、次のステップに進めるんだよってことは一つ伝えたい。
未来を切り開いていくっていうのには必ずサイエンスがあって、ただメンタルだけで頑張って乗り越えるんじゃなくて、そこにサイエンスがあるから未来を想像できるというか、それが“知る”を楽しむことになるんだと思う。
自分の中で経験を積み上げていって必ずその先を研究している先生だとか、道を切り開いていった先輩達のデータみたいなものがあると思うので、それを指標に自分の未来をイメージしやすいというか、していくことが子どもたちの道を切り開いていくきっかけになると思う。
うまく言葉にできないんですけど、確かなサイエンスもそこにあるんだよっていうことは伝えていけるといいなという風に思います。

高橋キャスター:
これからずっと温めてきたやりたいことがあると。なにかそういう構成だけでも教えていただけると嬉しいです。

小平さん:
私は何か大きなことをやるっていうよりは、地域の中で地に足をつけたフィールドの中で、子供たち、地域の大人たちと楽しいことをやっていきたいなっていう思いがあって、そこに組織だとかカリキュラムだとかそういう枠があると学びも制限されてしまうイメージを持っているので、どんな人にでもどんな状況の人にでも、一緒に学びを共有できるようなそんな居場所作りができたらいいなっていうふうには考えています。

■小平奈緒(こだいら なお)
長野県茅野市出身 1986年5月26日生まれ。ワールドカップの女子500mと1000mで通算34勝を誇る日本女子の短距離のエースで、女子500mの日本記録保持者です。オリンピックには2010年バンクーバー大会に初出場し、女子団体パシュートのメンバーとして銀メダルを獲得。前回のピョンチャン大会では500mでオリンピック記録を更新して金メダル、1000mで銀メダルを獲得した。2021-22年シーズンは、ワールドカップの500mと1000mで優勝。今年10月22日に地元・長野県で引退レースを行った。来年1月から母校の信州大学で特任教授として教壇に立つ。