「7条解散」の“発明”は吉田茂元首相

そのきっかけは、1952年の第4次吉田茂内閣に遡ります。当時は不信任案が出ていなかったものの、時の政権は解散を望みました。そこで「発明」されたのが、憲法7条に基づく「7条解散」です。

7条には天皇の国事行為が記されていますが、天皇は政治に関する権能を持ちません。「内閣の助言と承認により」という文言を根拠に、「内閣が実質的な決定権を持っている」と解釈して強行されたのです。

当時、この手法を巡って「憲法違反だ」とする訴訟(苫米地事件)が起きました。しかし、最高裁は「極めて政治性の高い問題は、国民の判断に委ねるべき(統治行為論)」として、合憲か違憲かの判断を回避しました。

以来、日本は「黒(違憲)と言われていないから大丈夫」というグレーな状態のまま、全27回の解散のうち、実に23回がこの7条解散によって行われてきたのです。