「戸籍を抹消することになってもいいか」 異様な面接の記憶
小野田さんと共にスパイ養成機関「陸軍中野学校二俣分校」の同期生で訓練を受けた、井登慧(いと・さとし)さん(103)。
今回、TBSテレビ『報道の日』の取材に応じ、その実態を明かしました。
陸軍中野学校二俣分校は、1944年、旧日本軍の戦局が悪化した太平洋戦争末期、「本土決戦」に備えたゲリラ戦のエキスパートを育てようと静岡県浜松市に開校しました。
井登さんは、入校時の「異様な面接」を今も鮮明に覚えています。
面接官
「お前が死んでも遺骨は親元に帰らないが、いいか?」
「戸籍を抹消することになってもいいか?」
こう問われ、「構いません」と答えた直後、面接官から意外な質問が返ってきます。
面接官
「後ろを向け」
後ろを向くと…
面接官
「目のつくところに何があったか言ってみろ」
井登さんは「タバコがあったな、灰皿があったな、万年筆はなかったけど書類があったな」と答えたところ、合格と言われました。
入校式で分校長は「教育が終わった暁には秘密戦士として能力を発揮せよ」「陸軍中野学校 二俣分校の名を名乗るな」と訓示。
外部には一切明かされない、秘密戦士の育成の始まりでした。

















