別班命令を受け戦地へ 「生き延びて任務を完遂せよ」の教え
陸軍中野学校二俣分校を卒業すると、井登さんはゲリラ部隊の中隊長として台湾へ。小野田さんは、フィリピン・ルバング島に。
小野田さんに課されたのは参謀部別班命令。どんな命令だったのでしょうか。
井登慧さん(103)
「情報を集めたり宣伝工作をしたり、情報戦争をやれという命令。生き延びて任務を完遂せよ。決して玉砕するなと」
1945年8月15日、日本は終戦。しかし、小野田さんは忠実に任務を守り続け、29年間も密林に潜み続けました。
小野田さんはジャングルでどのように生き抜いたのでしょうか?そこには、小野田さんの徹底した健康管理があったのではないかと、井登さんは話します。
井登慧さん(103)
「絶対に自分の健康は自分で守らなければいけないと。手を握って、その太さによって体重の増減を測ったり、便の硬さで胃腸の調子を診たり、ヤシの繊維で歯ブラシを作って歯を磨いたり、タワシのようなものを作って乾布摩擦をしたり、徹底した健康管理をしていた」
小野田さんたちを育てた陸軍中野学校。そのノウハウや精神はその後、密かに自衛隊の“心理戦防護課程”に受け継がれたといいます。

















