「弾むマリのように」政治家になった原点
「(アメリカ)留学時代に、スーザン・ファーという当時のアメリカでの日本専門家の方がいらして、その方のゼミを取って、自分のキャンペーンレポートをその時書いたんですね。キャンペーンレポートのタイトルは「弾むマリのように」、bouncing ball というタイトルなんです」
「それでもし仮に、私が(政治家に)立候補するならばということで、静岡のいわゆる地合いがどうなっているのかを分析し、どういう戦略で打ち破っていくのかということについてレポートをまとめて、エクセレントという評価をされたんですが、「bouncing ball」というのは私の母が、私を育てるときに、『弾むマリのように何でも自分が思ったことをやってごらん』っていつも後押ししてくれた。そのことが今に至っているなと思うんです」

「母は専業主婦で、自分は体が弱いので自分が思うことができない。しかし、娘には『やってごらん』というふうに言って後押しをしてくれた。後押しができるような存在、これはロールモデルというんですが、日本においても極めて大事だなと思うんですね」

















