茨城県知事が東京地検特捜部に握られていた“弱み”

茨城県知事・竹内藤男の弁護人を務める猪狩は、公判が始まると、法廷で明確にこう主張した。

「竹内が、起訴事実に記載されたその日時、その場所において、そのような趣旨で、ハザマおよび清水建設の幹部から、当該金額のワイロを受け取った事実はありません」

起訴事実を、真正面から否認したのである。

当時、司法記者としてゼネコン汚職事件の一連の裁判をすべて傍聴していた筆者は、ある夜、銀座の飲み屋で猪狩に率直な疑問をぶつけた。

「竹内知事は、隠し持っていた約7億円の現金や割引債を押収されています。不正蓄財であることは動かぬ事実です。それでも、個々のワイロの受領を否定できるのでしょうか」

それに対する猪狩の答えは、意外なものだった。

「竹内が隠していた約7億円の不正蓄財の大半は、おそらくゼネコンからのカネだろう。むしろ、そこが重要なんだ。カネを受け取ることが常態化し、感覚が麻痺していた竹内にとって、『いつ、どこで、誰から、いくら、どんな趣旨で』受け取ったのかを、いちいち正確に覚えているはずがない」

つまり猪狩は、竹内の捜査段階における供述調書は、曖昧で不確かな記憶の上に、特捜部の誘導が加わって作成されたものであり、個別の授受を特定する証拠にはなり得ないと見ていたのである。

その背景について、猪狩は静かにこう語った。

「竹内が取り調べに素直に応じたのには理由がある。複数の愛人に金を使っていたという“弱み”を、特捜部に握られていたんだよ」

さらに、こう続けた。

「弱みにつけ込まれ、調書に署名・押印せざるを得ない状況に追い込まれていたわけだ。特捜部の内部では、竹内のことを“何でもしゃべる自動販売機”と呼んでいたようだ」
「たしかに、起訴事実の前後でカネを受け取っていたこと自体は否定できない。だが、18年もの間、権力者として君臨してきた知事にとって、『政治献金』や『金銭授受』は日常化していた。受け取った日付や場所、相手を逐一覚えているはずがない」

要するに猪狩は、竹内がゼネコン4社から受け取ったとされる総額9,500万円について、その具体的な「受領日時・場所・相手・趣旨」を特定すること自体が、現実には不可能だと捉えていた。

だからこそ、特捜部が作成した竹内知事の「自白調書」には、日時や金額、場所などに食い違いや矛盾が生じている。猪狩はそこに、「検察が竹内の供述に引きずられ、誤った起訴に踏み込んだ痕跡」があると、確信していたのである。

ゼネコン4社から「9,500億円」の収賄罪で起訴された竹内知事(1993年)
東京拘置所に竹内知事を連行する特捜検事・大鶴基成(32期)右