「新型爆弾で家族は死んだ」

「生き残ってしまったこと」がひたすら申し訳なく、「新型爆弾(原爆)で家族は全員死んだ」と考えた父は、長崎に帰りませんでした。

大阪へ流れ着き、電車車掌のアルバイトをしていた1年後、父は「家族が生きているらしい」と噂を聞いて帰郷。

長崎市中心部で原爆の惨禍に見舞われながらも、運よく生き延びていた家族と、涙の再会を果たしたのです。