今年は2002年の日朝首脳会談から20年。拉致された家族を救い出そうと家族会が結成されてから25年。そして、横田めぐみさんの拉致から45年と“節目”が重なる一年でした。しかし、被害者の帰国を待ち続ける家族にとっては“節目”などありません。
関係者が高齢となる中、1分1秒がより重く、厳しくのしかかっています。
「もう会えなくなってしまう…」焦りが募る母

年の瀬も迫った12月8日…。
東京都で開かれた集会で横田めぐみさんの母、早紀江さんの口をついて出たのは、やるせない思いでした。
【横田早紀江さん(86)】
「世界中がなんだか落ち着かない状態になって、もう拉致問題も『小さな1つの事件』として置かれているような感じがする。政府も何かをやってくださっているのか、そこが見えなくて、『何をやってくださっているんですか』ということがわからないので、希望が持てないんですよね」
最愛の娘に「もう会えなくなってしまう」。
早紀江さんにとっては、これまでになく焦りが募る一年でした。
新潟市にある寄居中学校の1年生だっためぐみさん。部活動を終えて自宅に帰る途中、忽然と姿を消しました。1977年、45年前の11月のことです。
【横田滋さん(当時45)】
「一日も早く帰ってくるのを待ちわびているところなんです」
その後、今から25年前の1997年にめぐみさんの拉致疑惑が浮上。
20年前の2002年に、北朝鮮が初めて日本人の拉致を認め、5人の被害者が帰国しましたが、そこにめぐみさんの姿はありませんでした。
【横田早紀江さん(当時72)】
「きっとめぐみちゃんも帰ってくるに違いないって。息子たちは絶対にお姉ちゃんを大きな日の丸で包んであげようって言って、大きな日の丸の旗を買って持って行ったんです。

それであそこから降りてきたら『お姉ちゃん』って、この日の丸に包み込んであげようと言っていたんです。私たちは本当に、それを夢見て、あそこにいたんですけども」
あの日、24年ぶりに祖国の地を踏んだ、柏崎市の蓮池薫さんです。帰国から20年を迎える2022年10月、BSNの取材に応じました。

帰国から月日がたつにつれて、「もう一度北朝鮮に事態を動かさせる」。
そんな思いが、より強くなっているといいます。