現在とは異なる街の姿…戦後の「区画整理」が変えたもの

味酒町では、戦後に「区画整理」が行われた歴史が。

戦後の松山市の変遷をまとめた『松山市戦災復興史』によると、太平洋戦争中の1945年7月、松山市はアメリカ軍のB29編隊による無差別爆撃をうけ、市街地の大半が焼け野原になりました。

この爆撃によって250人以上が犠牲となり、市内の半分以上の家屋が被害を受けています。

その後、国の復興計画により、松山市では道や公共施設の再配置が行われ、「チシャの木」がある味酒町も区画整理の対象に。

区画整理の影響で、敷地の移動を余儀なくされた施設の1つが、2本のチシャの木の近くにある「阿沼美神社(あぬみじんじゃ)」でした。