戦況悪化とジャングルへの逃避行

しかし1944年、アメリカ軍によるフィリピン奪回作戦が始まり、平和な日常は一変します。このとき、日高さんは9歳でした。

「家も何も全部ほったらかして着の身着のまま、家族でトラックに乗りました。昼間は歩いてるとアメリカ兵に見つかるちゅうんで、昼間は隠れて、夜になって歩いた」

旧日本軍など約3000人の集団で密林を逃げる中、栄養失調や病気で亡くなる人が増えていきました。

「山に入って、草とか木の芽とか食べとった。ヘビやミミズ…毒がないものはなんでも食べた。かぼちゃのツルとか、父がちぎって食べさせてくれたのは覚えてる」